部屋を片付けてしまったら。

あれから一週間経った日曜日を迎えた。
体調は概ね良くなり、喉の痛みがある程度となった。多分、これは一昨日、夕ご飯の片付けに気が向かなくて、気力を振り絞るためにアンジェラ・アキさんの『手紙』を思い切り歌ったことが影響しているように思う。しかし、治りが悪い。

さて、体調が悪くなる前、私は家の一部屋の片付けをしていた。完全に物置部屋となりかけている、北側の部屋。
『万が一にも、誰か具合悪くなったら自宅内隔離するんだよね、そのときに片付けるのじゃ遅いし』と黙々とスペースを作っていた。心の中では、やらなきゃという思いと、『これ、用意しちゃったから何となく真っ先に私が使いそうな気がしてしまう…』とやらない方がいい?という相反する気持ちがふつふつと沸いていた。
そして、シナリオは、私が真っ先に使う、となったのである。

実際、複雑な心境だった。
用意しといて良かったーという思いと、やっぱ用意したことが変に良くなかった?という思いと。なんだか釈然としないのだ。

この前の記事に記したことと、似ている。コロナって文字にしたら現実になりそうな感覚。

そんな折、内田樹さんのこんな文に出会った。

“危機管理に必要なのは、過去の出来事を記憶する力と未来のリスクを想像する力です。過去の事例を振り返って、同じ失敗を繰り返さないように改めるべき点を改める。未来については「最悪の事態」を想定して、その被害を最小化する手立てを工夫する。「もう過ぎてしまったこと」と「まだ起きていないこと」にありありとしたリアリティーを感じる感受性がないと危機管理はできない。
しかし、今の日本人はそれができません。過去の失敗のことは忘れて、そこから何も学ばない。不測の事態には備えない。プランAが失敗した場合のプランB、プランCを考えておくということをしない。「参謀本部の立案した作戦がすべて成功したら皇軍大勝利」というノモンハン、インパール以来のメンタリティから何も変わっていません。”
文春オンライン 「無策な安倍政権」をいまだに支持し続ける人がいる理由――内田樹の緊急提言 より
https://bunshun.jp/articles/-/37140?page=1
海外のコロナ禍報道にmitigateという文字列をよく見かけます。辞書を引くと「苦痛を緩和する 刑罰を軽減する」とあります。「痛めつけられ、苦しめられることは避けられないので、苦痛を少しでも耐え易いレベルに引き下げること」ですが、これに対応する日本語が存在しない。
mitigate の訳語が存在しないのは「被害は避けがたいがその被害を最小化することはできる」という「後退戦」の発想が日本にはないということを示しているのではないでしょうか。「プランAが失敗した場合に備えてプランBを策定しておく」のがhedge ですが、これも適切な訳語がありません。
2020年4月18日 内田樹さんのTwitterよりhttps://twitter.com/levinassien/status/1251414355637235712?s=21

この言葉が一番しっくりきた。結局、あれほど自分が忌み嫌う日本軍の発想と変わらないのではないか。後退したくない、勝っている気でいたい。

やっぱり、危機管理には、最悪の事態を想定することは必要なのだ。
用意した部屋を使う事態になることよりも、部屋がなくて隔離が遅れ→家族に蔓延、が最悪だったのだから。
やっと、真っ直ぐ『これで良かった』と思えるようになった。

『言霊』という言葉についても考えてしまう。
願いは口にしていれば叶う、とか、言葉にすることで力を持つ感覚、これは分かる。けれど、やっぱり目の前に危機が見えていたら、願うよりも、逃げるか対策を講ずるべきだ。
気力や精神だけでどうにかなる話ではないのだから。

ここまで考えて、『…ていうか、最初から部屋が綺麗なら、こんな理由付けをしなくて済んだのでは…?』と、日々の反省に辿り着く。。。
自宅にいる時間が増えたのに、一向に片付かない、そんな気持ちが湧かない我が家…。喉を痛めない程度に、また何か歌ってがんばろうかな。

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