![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/65527516/rectangle_large_type_2_ce68b31d751dfdd563d8c21c3dee96f2.jpg?width=800)
【コンポーザーズノート】T0409の「へぇ~集」
コンポーザーズノート。今日は T0409 です。
Tをイニシャルに持ち、4月9日生まれの作曲家。
今回は フランチェスコ・パオロ・トスティ です。
声楽を学ぶ人であれば、ほとんどの方が彼の声楽作品を歌ったり、聴いたりしたことがあると思います。
イタリアの作曲家ということもあり、旋律の美しい作品が多いことに加えて、特に彼の晩年の作品中、言葉(詩)を語ることに軸を置いた作品(Consolazione, La seraなど)についても注目したいところです。
旋律を歌うこと、詩を語ること。声楽教師でもあった彼の「歌」への考えからは、学ぶものが数多くあります。
そんなトスティの「へぇ~」と思えるようなことを学生が集めてくれたので、ご紹介します。
へぇ~集:T0409
※「ほんとかな~?」と気になったものがあれば、真偽はご自身でチェックしてみてください。
※学生の文章をそのまま載せています。
・幼少期からヴァイオリンの神童として知られ、ナポリ音楽院でヴァイオリンと作曲を学んだ。
・詩人であるG. ダンヌンツィオと33曲をコラボレーションで作曲した。
・G. ヴェルディにも信頼される声楽教師としても有名だった。
・1880年ごろからロンドンに移り、イギリス王室の声楽教師を勤めた。
・晩年にイギリスに移住して「サー」という称号をもらっているので、サー・フランチェスコ・パオロ・トスティとも呼ばれている。
・当時イタリアはオペラ全盛であったが、トスティは声楽教師という職務から作品は歌曲が多く、イタリア近代歌曲の創造に力を尽くした。
・ユニークで人柄もよく愛されていた。
・英語は一言も解さなかったという説もある。
・教師業、指揮者、指導者としての激務が続き、狭心症になり、それが原因で亡くなった。死ぬ直前まで曲を書き続けていた。
・母語のイタリア語だけでなく、英語やフランス語が原詩の歌曲をつくった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?