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【コンポーザーズノート】F0714の「へぇ~集」

コンポーザーズノート。今回は F0714 です。

Fをイニシャルに持ち、7月14日生まれの作曲家。
今回は ジェラルド・フィンジ です。

フィンジって誰?って思った方、きっとあなたの方が多数派だと思います。フィンジをご存知だった方、近年になって再評価が進んでいるフィンジの音楽の魅力について、お話してみたいです☺

フィンジは、これまでにコンポーザーズノートで紹介した作曲家の中で、おそらく一番マイナーな作曲家だと思います。
しかし、彼の人生も含めてフィンジの魅力にひとたび気づくと、その美しさに引き込まれていくように思います。
トーマス・ハーディという詩人の詩作品に曲を付けた歌曲では、芸術性の高いものが数多くみられ、歌唱旋律も伴奏も傑出しています。ハーディの詩の難解さに引けを取らない、むしろハーディの詩世界に潜む音空間と情念を浮き彫りにしているようにも思います。
フィンジの作品で、人気の高い作品の1つは「ピアノと弦楽のためのエクローグ」でしょうか。ぜひ、フィンジの音楽を楽しんでいただけると嬉しいです。

さて、そんなフィンジの「へぇ~」と思えるようなことを学生が集めてくれたので、ご紹介します。

へぇ~集:F0714

※「ほんとかな~?」と気になったものがあれば、真偽はご自身でチェックしてみてください。
※学生の文章をそのまま載せています。

・オルドボーン(イギリスのバークシャー州)で作曲活動とリンゴの栽培に専念し、絶滅の危機にあるイングランドの多数の品種のリンゴを保存した。

・ヴァイオリン協奏曲がロンドンでヴォーン・ウィリアムズの指揮によって初演されるが、フィンジはこの作品を不満に思い、中間楽章を残して、他は撤回してしまう。1999年に再演、録音された。

・初期の経歴において、骨折って器楽曲を書いたにもかかわらず、純粋な器楽曲の数は少ない。

・第二次世界大戦中、戦時移送省に勤め、ドイツやチェコスロバキアからの亡命者を自宅に泊めた。

・無調や十二音技法が現代音楽の大きな潮流になっていたころ、そんなことには目もくれず、ひたすら自分の信じる音楽を創り続けた。

・1951年にホジキンリンパ腫にかかり、長くともあと10年しか生きられないと宣告された。

・アーネスト・ファーラーに音楽を学ぶが、彼は西部戦線で戦死を遂げる。

・3人の兄弟も人間形成期に失っている。

・1930年から1933年まで王立音楽アカデミー講師の職に就いた。

・不可知論者だったにもかかわらず、聖公会のために、霊感に富み印象深い合唱曲をのこした。


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