Grapevine 『Almost There』(2023)レビュー
クックック、田中和将め、ついに本性を表しおったか!
Grapevine、2年振り18枚目の新作。
デビューから26年経って、今回の2年4ヶ月が最大のスパンとなったくらいコンスタントなリリースペース。それでいて質を落とさずマンネリ知らずなのだから中々のバケモノです。
ちなみに、最大のスパンが空いたのには理由があるんですが、そこも含めて以下の項で説明します。
レビューだけ読みたい方は飛ばしちゃってください。
前回までのグレイプバイン
前作から今作にかけての2年半の間に彼らに起こったことをまとめます。
前作の高評価
Grapevineはこれまで、コンスタントかつハイクオリティな作品制作を常に続けてきた一方で、器用でなんでもこなせるバンドであるためにバランスを取ってしまうところがあり、ある種の「突き抜けた」感を感じさせる作品が少なく、音楽好きの間でも一定の評価はキープしているものの地味な存在感を維持し続けていたところがありました。
そんな中発表された前作『新しい果実』は、主にVo/Gt田中和将の作家性の大々的な表出により「異形のネオソウル」的音楽性を確立し、コロナ禍の鬱屈とした空気感をパッケージングした革新性と時代性を併せ持った作品になりました。
特に「ねずみ浄土」は衝撃的なギターサウンドと余白を贅沢に使う成熟しきったバンドアンサンブルが注目され、ついにGrapevineはシーンの中で実力相応の存在感を持ち始めます。
自分としても「新しい果実」は大好きなアルバム。外向きの鬱屈さがいいんですよね。
更に週刊誌に寄稿した田中のエッセイ「群れず集まる」(名文。集団的熱狂に乗り切れない皆さんは是非読むべし)が国語の教科書に掲載されるなど、Grapevine周りの潮目が確実にいい方向に動いていました。
田中和将の不倫報道
ここで見事にすっぱ抜かれてしまいました。
高まってきた注目度が完全に仇となった形です。
これによりGrapevineはしばらく活動休止となり、アルバムの制作時期も遅れることとなりました。
この事件が今作における田中の作詞に大きな影響を与えていることは言うまでもありません。
ここから本題。
本作の特徴
というわけで諸々の事情で長くなってしまったスパンを経て制作された本作はその特殊な事情もあって、特筆すべき特徴を持っています。
・プロデューサー・高野勲
Grapevineは2002年のBa.西原誠の脱退以降、正式メンバーは残りの3人としながらも、サポートメンバーのBa.金戸覚、Key.高野勲を含めた実質5人バンドとして活動してきました。
今作ではその長年の戦友である高野勲氏に全面的にプロデュースを委託しています。
高野氏と言えば、あの「ねずみ浄土」において、大きく歪んだリズムギターサウンドを提案した張本人であり、その「思い切りの良さ」的な性質は本作のアレンジ面において大きな役割を果たしたと言えるでしょう。
・歌詞の変化
田中和将と言えば、真意が曖昧で多義的な解釈が可能な作詞を得意とする作家であり、あまり直接的な言葉を使わない傾向にあったのが、本作では今までになくストレートな言葉をあえて選んでいる印象です。
これは本人的にも狙ってやっているっぽい。
思うに、今までは一意的な解釈で終わってしまうことを避ける意図で曖昧な筆致にこだわっていたのが、今回は上記の報道が文脈として機能しており、それが言わば1種のミスリードとして既に存在しているために、どんなに直接的な歌詞だろうと主語が単なる登場人物と田中本人との2通りでどちらに取るかで意味が変わってくるという構造があるから、いつものように寓話に落とし込む必要は無いと判断したのではないかと。
まあ開き直りもあるだろうけど。
その影響で、「一見様お断り」的な性質も少なくとも歌詞の領分ではあると思います。
ここから曲ごとのレビューです。
Almost There
1.Ub(You bet on it)
前作、前々作は田中の声からアルバムがスタートしたのに対し、今回は田中のギターカッティングで幕が開く。 シャッフルビートでSpoon的感覚を醸しながら抜け切らないAメロから、割と強引なBメロを挟んでサビでは鍵盤で開けていくというシンプルな構成。亀井曲。
ギターソロではもっとメロディアスに弾き倒せそうなものなのにリズムに寄り添って変なフレーズになるのはやはり西川弘剛のセンス。
途中でビートルズの「Not Guilty」っぽいフレーズが聞こえる。
歌詞はかなりストレートな意思表示。
世界中が敵だとか売れすぎるのも良くないねだとかほざいている。その上で、自分たちにしか出来ないスタイルでひっくり返してやると。中々泣かせることを言う。
ちょっと恥ずかしい気もするけど、本作の田中和将はこういう事を恥ずかしがらずに言ってしまうのである。頼もしいのかもしれない。
2.雀の子
第1弾先行曲にして、前作の流れを汲む異形のR&B。田中曲。
遊びすぎてぐちゃぐちゃになったイントロから、リズムボックスと2声和音のギターの上になぜかコテコテ関西弁が乗っかってくる。Bメロになると急にハッピーアワーの話をし始め、ヘンテコな効果音が現れて、まさかのオートチューンでブレイクしディストーションで歪みきったサビになだれ込むという、カオスと隣り合わせ、情報量の暴力のような曲。ポエトリーリーディングもあるよ。
前作の流れを汲むとは言っても、「ねずみ浄土」の抑制具合とは正反対で、こちらは要素を積み上げまくった結果異形になっているというもの。
前曲とは違ったアプローチで、より生々しい視座からしかし同様の意思表示を見せる。
しかしみっともない。「雀の子マイベイビー」という字面のどうしようもなさは形容し難いものがある。
中年の苦悩、それがヤケになっていく様をこれ以上なくみっともなく(自分の話も踏まえて)描いていく。これは田中の話でもあるし世の中の話でもある。
前曲では「ひっくり返してやる」と高らかに歌っていたのに対し、今回は「このザマを見ていけ」と吐き散らす。どちらも、このままやっていくしかないという覚悟の言葉だ。
3.それは永遠
カオティックな前曲とは打って変わって、素朴で繊細なミドルテンポの美メロをバンドアンサンブルの妙で彩るいつものグレイプバイン。前作で言うと「さみだれ」的な立ち位置の曲。
安心安定のクオリティではあるものの、こういう曲をきっちり作ってしまうからこそイマイチ突き抜けないのかなーと思うところもある。無論亀井曲。
しかしこのかつての恋愛を回顧する1曲も、いつもの作詞方法とは少々違った趣がある。
例えば「1977」(『愚かな者の語ること』収録)では、あちらはどちらかと言うと失恋ソングなのだが、「その瞬間」への言及は少なく、ひたすら情景と繊細な感情が表現されていた。
それに比べて本曲では、主人公の状況説明がかなり明確になっていることがわかる。
そんな中でCメロの「眩しそうに〜」のくだりは彼の真骨頂という感じがする。
4.Ready to get started?
ドラムとギターノイズの隙間から急にこちらを振り向くようにタイトルコールされ、オアシス風味の爽やかでクソダセェギターリフとビートで駆け抜けていく爽快なロックナンバー。亀井曲。
追悼の意もあるのだろうか、なぜか今年2月に亡くなった漫画家・松本零士の作品の要素を散りばめながら、バンドを引っ張っていく覚悟をやはりストレートに宣言する。
演奏面でもそうだが、「This town」(『真昼のストレンジランド』収録)の続編的な意味合いが感じられる。ユニゾンする2本のギター、バンドとしての歩みを止めないという覚悟。
休止期間に、フロントマンとしての自分を見つめ直すこともあったのだろう。勿論おふざけもあるのだろうが、自分にはこのバンドしかないという気概が感じられて嬉しい。
5.実はもう熟れ
これまでの系譜に実はあまり無かったシティポップ風の1曲。トライセラっぽさもある4つ打ち。
Prefab Sprout「If you don't love me」を思わせる80'sディスコシンセポップサウンドに乗せて、ダンスフロアで出会った2人が熟年を経てかつての恋に再起していく様が、しかし実は一方的な情念が歌われる。亀井曲。
この曲はリズムギターが白眉で、今作は田中のギターが冴えたアルバムだということにここで気づく。
間奏部のギターの掛け合いは両者の色が濃く出てて好きです。
1番は出会いを懐古することに留まっているものの、2番では「僕達ずっと一緒にいて、今子供も独り立ちした訳だし…… 胸騒ーぎが・し・ないか???」と突然迫ってきて、ラスサビに至っては「お燗してみたい」である。これは誰もがドン引き。
6.アマテラス
低音と重いドラムで始まる、静と動とグルーヴの妙で聞かせる、過去作で言うと『Babel, babel』に入っていそうな雰囲気の田中曲。
セッション曲っぽい演奏だけどセッション曲よりもメロディがカッチリしていて、その組み合わせには意外と新鮮な味わいがある。
最近よくやる奇怪なユニゾンフレーズで強引にブレイクする展開(「ぬばたま」など。次曲にもある)を挟んでフリーキーでカオティックなギターソロへ。
ここでも2者同時ギターソロが聞けるが、前曲のような掛け合いのソロではなく、無関係にひたすらノイズを撒き散らす。
『All the light』収録の「弁天」とかと通じる世界観だが、そこと比べるとやはり直接的な言葉の使用が目立つ。
こういう曲ではダジャレに近い韻の踏み方をすることが結構あるが、今回も「アマテラス」「暴れ出す」でちゃんとやっててそこは健在。
Aメロでは三連符フロウをかますところもあったりして、今作特有の思い切りのよさ、振り切れた感じがここにも出ている。
7.停電の夜
シティポップだが、5曲目が80sディスコポップ風のそれだったのに対しこちらはソウル・R&B風。田中曲。
1番ではトラップビートとシンセのアルペジエータに導かれたバンドサウンドとはかけ離れた音像が広がり、2番になるとこのバンドらしい落ち着いたアンサンブルへ移行する。
美メロな佳曲で田中曲らしくない感じがするが、展開部の唐突なピッチの跳躍には彼らしい変態性が垣間見える。
自分の話なのか知らないけど一夜限りの愛をオシャレに描きながら、しょうもないダジャレもしっかり挟んでくるのが抜け目ない。
サビの終わりが展開のきっかけとしても機能していて、1番2番はそれを利用して曲が動いていき、ラスサビの最後では新しいメロディが追加されて落ち着いていくという中々レベルの高い構成。
7.Goodbye,Annie
真っ直ぐで重たいガレージロックサウンドにのせて世の中へブチ切れ散らす曲。まあブチ切れているのはいつもの事だが、いつも以上に言葉がクリアで具体的。で結果攻撃的。亀井曲。
「ロンリーコンドル」は「ロリコン」、「アブサン」は「アニソン」と歌っている。
Aメロではちゃんと政治に文句を言っていた癖に、サビになると「それはそうと」とでも言わんばかりに大声で音楽業界への文句を垂れ始める。
ひねくれクソジジイ田中和将ここにあり。
アルバム発売直後の関ジャムでユニゾン斎藤氏がバインを紹介していたけど、斎藤氏繋がりで聞きに来た人はこれを聞いてどう思うんだろうか。
9.The long bright dark
ミドルテンポのビートにラテンなパーカッションを乗っけて、歌メロが過剰なR&B感を演出していくなかで、ひたすらストレンジなフレージングに徹するリードギターがクールな田中曲。
これでこそ田中曲。
浮世離れしたメロディと歌い方の割にやけに現実的で痛々しい中年の状況を歌っている。
サビは地味に超高音で歌いづらそう。
10.Ophelia
ミニマルで明快なリフに導かれて、それにしてはほの暗いメロディが流れるAメロから、サビで突然轟音シューゲイザーと化す超展開の亀井曲。
過去曲で言うと「Good bye my world」(『イデアの水槽』収録)などに近いだろうけど、こちらはより動きの少ないメロディで極端な静と動がつけられていて、後半はひたすらその轟音具合で突き進んでいく印象。
「Ophelia」というタイトルだがシェイクスピアの演劇のハムレットに絡めた言及は恐らくなく、ミレーの絵画のオフィーリアから想起されるイメージの描写に終始しているのが作者の傾向にしては珍しい気がするが、直接的な歌詞が多い今作の中でこの曲の明確なことを言ってしまわない感じは過去の歌詞に最も近いものがある。
しかし特にサビの、この動きが少ないながらも十二分に情緒が詰め込まれたメロディは凄い。
亀井氏の楽曲は安定感がありながらも実は進化し続けていて、それでいて外さない。
10.SEX
物議を醸すタイトル。しかし中身は、性の向こう側でストレートな愛を求める人間の性(さが)を描いた、スケールが小さくて巨大なラブソング。田中曲。
日常を紡ぐようなリズムボックスの音に導かれて、いきなり「愛」を歌い出す。「マリーのサウンドトラック」(『Another Sky』収録)的な重たいコードストローク。
この曲の主語は一見田中自身に見える。でもそれだけでは無いと思う。
世界中で美しく語られる「未来」や「希望」が自分のために作られたのでは無いことに気づいてしまった、あらゆるマイノリティ。
思えば田中は常にそうした人々の側に立って歌詞を書いてきた。
拍を刻もうとするシンセも、リズムからズレてしまっている。
社会に馴染めないのに、馴染みたくもないのに、その中で自分は生きてきて、思い出も沢山あって、そんな日々がどこまでも続いていく。
失って初めてそこにあった「愛」に気づいて、今更心の底からそれを渇望する、この切実さと傲慢さ。
どうしようも無い日々を過ごして、人々は傷つけあうばかりで求める愛はそこにはない。いや、最初からどこにもないのかもしれない。
例えば性は。かの多様性は。
「LGBTQQIAAPPO2S」とは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーを表す「LGBT」だけでは表せないセクシュアリティの種類を表すために、クィア、クエスチョニング、インターセックス、アセクチュアル、アライ、パンセクシャル、ポリアモラス、オムニセクシュアル、トゥースピリットを足したものであるらしい。
「多様性」から誰も取りこぼしたくないのだろう。
だが、「多様性」が語られ、「理解」や「共存」と言った言葉が主体と客体を分けるものである限り、マイノリティは「分け与えてもらう側」であり続ける。
果たして一方的な「理解」に本当に限界は無いのか。全ての人間と分かり合えると考えるのは、多数派の傲慢ではないか。
どれだけ言葉を増やしても、こぼれ落ちてしまう人達がいる。「多様性」をいくら広げても、その輪に入れて貰えない人間は居なくならない。この述語のない一節の長い主語で表したいのは、実はそういう人々のことなんじゃないか。
このCメロの一節は、皮肉だ。世界に光なんて灯らないし、一緒にされたくもない。一緒になんてなれない癖に。
それでも、この歌詞は純粋な希望にも見えてしまう。
愛を喰らうこと。それは時に傲慢な願いで、時に誰もに認められるべき権利。
それが無い時に大切さに気づく、形のないもの。
かなり陳腐な結論だが、愛は最も陳腐な感情で、だからこそ田中は恋愛について書くことはあっても、それをストレートに語ることはしてこなかった。
しかし今回は彼の身に起こった(自業自得だが)事件によって、こんなむき出しな、「愛」への率直な切望が垣間見えることとなったのは嬉しい誤算だ。
仄かな希望を、しかし断言はせずに漂わせるラストフレーズが終わると、通底して流れていたリズムボックスの音が消え、感傷的でダイナミックなアウトロに流れ込む。
ここでの西川氏のフレージングは美しくストレンジに泣いていいて、心に来るものがある。
全体的な感想(雑多な)
・前作同様田中曲が冴えに冴えていてすごい。アルバムそれ自体のカラーを作るのは田中曲、という傾向が、初期からその感じはあったけど(『Circulator』や『Another sky』)ここ2、3作は如実で、ここに来てフロントマンとしての存在感が大きくなっているのが面白い。
・前作と比べるとバンドサウンドが良くも悪くも元気で、聞いてて楽しい一方ちょっと「ガチャついた」印象もある。
恐らくここは高野氏の手腕によるところが大きい。
・前作が「現代のロック」だったのに対しこちらは「現代のオルタナティブ・ロック」という印象。
前作では音それ自体に革新性があったのに対し、今作には時代性とは関係ないところで革新と進化を行うという、「オルタナティブロックバンド」としてのGrapevineの姿が強く現れている。
以上です。
まとめると、前作の方が好きだけど傑作だし、今後がより楽しみになる1枚だと思いました。
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