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【激論】どれくらいで「できるようになるか」と聞かれたら

ある程度、大人になってから音楽を始めた場合のコンプレックスについて、音楽講師の妻と話をしていました。例えば、バンドやコーラスグループの中で、音楽的な素養のある人と無い人がいて、音の構成などの専門的な話になると、素養の無い人は、黙るしかなくなってしまう。そして、話し合いで決まった内容を教えてもらって、言われた通りに自分のできることをやるしかない。音楽が好きで、歌ったり、演奏をしたりするのは楽しいけれど、どこまでいっても、受動的で、劣等感がつきまとう。「対等に話ができるようになりたい」とまでは言わないけれど、せめて、内容を理解して、相槌を打ったり、意見を言ったりしたい。でも、それができるようになるまでに、どれくらい時間がかかるのか?(大人になってからでもできるのか)というのが、私からの質問でした。

それに対して、妻は「う~ん、わからないなぁ。答えられない。」とのことでした。

妻「その人の現状レベルによるし、どれくらいの頻度で勉強するか、毎日やるか、たまになのか。本気度にもよるし、伸び方にもよるし・・・。」

私「いやいや、そういうことを聞いているじゃないんだよな~。例えば、教習所だったら免許取得まで何か月とか、資格試験だったら難易度の星いくつとか、一般的にかかるであろう時間とか労力のイメージがあるじゃない。正確な期間を知りたいわけじゃなく、大変さが大雑把にわかれば良いのだけど。教習所だって、いろんな背景(能力)の人が来るのであって、同じことじゃない?」

それでも、何だかしっくりとしない回答が返ってきます。

妻「学んだものが、実際に使えるようになるまでにも段階があるし、それを良い方向に生かせるかというセンスの話もあるし・・・。」

私「いやいや、演奏とか作曲とかだったら、センスの話はあるけれど、楽典にはアバウトなところがない、正解があると言ってたじゃない。学んだものをどのように生かすかという話は、今回は別として、正解があるものを「知識」として身に着けるまでの期間を知りたいんだけど。」

ここまでくると、何だか、答えるのを避けようとしているようにも聞こえます。

私「粗くても良いから、もう少し納得感が出るように、掘り下げられないかなぁ。何か、答えたくない理由でもあるのかしら?」

妻「ひとつは、どれくらいでできますか?と聞く人って、「これさえやればうまくなる」というものを欲しい人が多いので、講師としては少し警戒をしてしまう面があるのよね。あとは、生徒がどれくらいの熱意で取り組むかわからない中で、具体的な期間だけを先に伝えてしまうと、誤解を与える面があるよね。後で、これくらいの期間でできると言ったじゃない?と言われても困るし。」

妻「こちらは小さな頃からそれこそ毎日、当然のようにやってきたものであり、音楽に取り組む姿勢として「当たり前」の範囲が違うので、土台が全く違う人が取り組んだとして、どれくらいのペースで進むのか、想像がつかないというのが、本当のところ。歌に関しては、これまでにたくさんレッスンをして、生徒を伸ばした実績があるので、目安を答えることができるけれど、楽典に関しては今のところ実績が少ない。」

妻「だから、例えば楽典に関しても、それくらい本気で学びたい人が何人も出てきて、実際に一定レベルまで到達するケースが複数出てきたら、こういう人はこれくらいの頻度で勉強して、これくらいの期間でできるようになりました、と示すことができるかもね。」

私「なるほど~。ようやく腑に落ちた!」

早朝、ふとしたことから始まった2時間の激論を、一部抜粋してお届けしました(笑)。

「できる側」からの目線では、いつまでたっても「できる側」の言葉しか出てこない。だから音楽講師は、事あるごとに、できるだけ「ツッコミ」を受けるべき。日々の教室運営から、そんな風に感じています。

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