妥協

妥協…対立した事柄について、双方が譲り合って一致点を見い出し、穏やかに解決すること。

辞書をひくと、こんな風に書いてあります。
この書き方だと、意見の対立が生まれた2人が話し合うようなことだと捉えられますが、必ずしも2人が話し合うことばかりじゃないと思うんです。
というのも、自分の中で噛み砕いて考え抜いて、誰にも告げず1人で決断する“妥協“もあると思うからです。

私、この世の幸せは殆どのものが“妥協“で成り立っているものだと思うんです。
むしろ、全く妥協のない幸せなんて存在しないと思っています。
家族、友人、恋人、夫婦、全ての人間関係は妥協の上で成り立っていると思うし、夢や目標なども、現実にするためにどこかで何か別のものを諦めたりしていると思うんです。
“仕方がない“ そんな気持ちで何かを妥協して生きているのが人間。
つまり、一種の諦め
思い返せば、私の今までの人生、そんな“諦め“の連続でした。

しかし、私はこの“妥協“によって生まれた選択を、自分の手で正解にすることはできると思っています。
その時は妥協して諦めて決断したものだったとしても、その選択を正解にできるよう努力して、結果正解だと思えたらそれは正しい選択になると思うんです。
対人関係でも、夢や目標においても。

妥協するのって正直悲しいし辛いけど、その決断が後に自分を正当化できる材料となるように行動していこうと思っています。



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