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『アマルシ・ウン・ポ』、『ブオナ・ノッテ』

今年が終わり、自分が2010年代のベストをあげるとしたら、フランク・オーシャンの『blonde』かフィンチャー『ソーシャルネットワーク』、それか三宅唱『きみの鳥はうたえる』、もしくはこのNetflix発のドラマ『マスター・オブ・ゼロ』s2になるだろう。配信から2年余り経っているが、今でも定期的にどこかのエピソードをかいつまんで見てしまう。例えば、毎年恒例の感謝祭の食事を軸に主人公デフのレズビアンの親友デニースと家族の歴史を描いた『サンクス・ギビング』やニューヨークに住む人々の何気なく愛おしい日常が映画館のスクリーンに集結する正にニューヨーカーたちの人間交差点こと『ニューヨーク、アイラブユー』など。忘れがたいエピソードの数々。しかしその中で唯一最終2話の『アマルシ・ウン・ポ』と『ブオナ・ノッテ』は軽い気持ちで見るとかなりのダメージを食らうのではないかと思う。毎話30分の尺を超え、1時間弱の尺を使う『アマルシ・ウン・ポ』と最終話『ブオナ・ノッテ』。約1時間半の尺を使って描かれるこのエピソードは紛れもなくここ数年で最も胸を抉られるラブストーリーだ。

主人公デフが恋するのはイタリア人女性フランチェスカ。彼女には結婚を約束したフィアンセがいる。このエピソードではニューヨークにやってきたフランチェスカとの1ヶ月の甘く、あまりに切なすぎる思い出が描かれる。最初は、イタリア人の友達、未来の亭主がいる人として、感情の一線を引いてたデフは、この1ヶ月間の彼女との「情事」の積み重ねによって、彼女に対して抱いていた感情に向き合うことになる。『アマルシ・ウン・ポ』のフランチェスカとのデートシーンの数々は正に見ているこちら側も彼女とデートしているような感覚に陥るほど、理想的で、実在感のある会話とムードにあふれている。このシーンたちがデフにとって特別なものになっていくのは、同時にフランチェスカにとっても特別なシーンであるからだろう。イタリア人のフランチェスカはニューヨークを夢の国に来たようなリアクションで愛でる。薬局の品揃えに驚き、タパス料理に感動する。彼女がニューヨークの特別なところを切り取っていくたびに、それが日常の風景のはずの彼にとってもそれは特別に映っていくのだ。いつもの風景も彼女と見れば夢のような風景に見えてくる。これほど人が人を好きになる過程が詰め込まれた作品が他にあるだろうか。

ここがあまりに丁寧だからこそ、後半の展開に辛さが増す。曖昧な関係性だからこそ、それを言葉にしてしまった瞬間に崩れてしまう脆さがまとわりつく。この曖昧だからこそ居心地がよく、同時に確かなものをつかもうとすると終わってしまう関係性。この関係性を描くのが、個人的には最近の恋愛映画のトレンドだとも思う。先に名前を出した『きみの鳥はうたえる』のラスト、または今年の今泉力哉の傑作『愛がなんだ』。おそらくこれが最も現代において等身大なのだろう。人生において何かを選択しなければいけない日はいくつも来て、それによって選びとるもの以外を捨てなければならない。いつまでもこのままの関係ではいられない。フランチェスカは今までの人生で愛した唯一の男か、夢のような街で自分を想ってくれる優しい男と生きるかどちらかを選択しなければならなくなる。彼女にしいてる選択はあまりに重い。しかし、ここで重要なのはどちらの選択をしてもそれまで彼と過ごした、確かにそこにあった楽しい時間は思い出として残っていくということ。正にラストに見る、デフとフランチェスカ、2人で撮った未来の2人へのメッセージビデオがその何よりもの証拠だ。

このひと時の、1人のニューヨーカーの恋愛を通して、アジズ・アンサリはどんなに悲しく重い出来事があっても、過去の素晴らしい思い出たちがついてる、そしてその楽しかった思い出と同じような未来が待っているかもしれないと、優しいメッセージを伝えている。EMCというラップグループの曲で『100%未来』という曲がある。一緒に東京で過ごした別れてしまった彼女との思い出(一緒に見た映画、行ったライブイベント)を思い出しつつ、それでもその思い出のような、100%の楽しい未来が待っていると謳っている曲だ。正にラストはこの曲のメッセージと共鳴する。このエピソード、寂しい夜に見るにはあまりに辛すぎるが、同時にこのシーズン全体を締める人生賛歌でもある。

このエピソードは奇妙なラストカットで幕を閉じるが、まるでこれまでの時間が一つの夢のようだった意味合いがあるのではないかと解釈した。そしてそこではデフが彼女を見ていると同時にフランチェスカも彼を見ている。彼にとっては勿論、彼女にとっても夢のような1ヶ月だった。そう考えるととても素敵なラストカットに思える。

因みにサブエピソード的に展開される、自分の冠番組の相棒出演者のセクハラ告発のパートも現代風刺とユーモアが絶妙で最高だが、今見るとかなり別の意味合いを持ってしまったパートだとも言える。このシーズン2後、アジズ・アンサリはme tooのハッシュタグで告発されたのは有名な話だ。この件に関しては、いくつか見解や記事が出ており、これを告発されるのは男だからといってあまりに理不尽じゃないかという声も出ている。それだけ、どこからどこまでが告発されるべきなのか、そのボーダーの曖昧さがかなり問題になった件だが、アジズ自身は、先日Netflixで配信されたスパイク・ジョーンズ『the right now』でこの件について自己言及している。自身のスタンダップである種の自虐ネタとして披露した件だが、自身もこの件でかなり参ってしまい、思うところがあったらしく、今回の続きであるシーズン3がなかなか製作されないのはその件とは関係ないようだが、もしも作られるとしたら、アジズ的にもそこの部分の問題に深く切り込んでいきそうな予感がする。

ともかく、現代批評含むコメディのセンス、恋愛映画としてのエピソードのバリエーション、そして会話劇としてのうまさとどこを取っても見惚れるほど完璧なエピソードでありシーズン。ウディ・アレンと並ぶほど、いや、個人的にはウディ・アレンを超えるほどの才能が詰め込まれた濃密な1時間半。不思議で楽しく、あまりに切なく鮮烈なラブストーリー。昨夜も見直して打ちのめされていた。これからもクラシックとして受け継がれていってほしい。

#Netflix #海外ドラマ



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