見せるための服と自分らしさ

突然ですが、ユニクロやGUの服を無難に着ちゃう人が、苦手です。
いや、それが好きで着ている人なら納得します。でも、「これを着ていたら、なんとなくトレンドに沿っているように見えるから」とかいう理由で着ているやつがいるなら、ぶっ飛ばしたい気持ちにかられます。やりませんけど。

しかし、経済学の先生曰く、「買うものに関わらず、意識的に自分にとっての利益を考えているので、無意識に選択をしている」らしい。確かに、「トレンドに沿う」という目的からいけば、ユニクロやGUの選択はとても正しい。じゃあなぜ、トレンドに沿わなければならないと思っているのかと聞くと、黙ってしまう人も多いのではないかと思います。

トレンドというのは、社会の指標のうちの1つです。だから、着いていけば、とりあえず綺麗に見えるという、周りの目を考えた行動であることは、はっきりわかります。
でも、私は、それが怖いです。自分が可愛いと思う根っこのものは、絶対に揺るがないんじゃないかと思っているからです。人間の根っこは、そんな社会の流れ1つで変わっていいものでは無いでしょう。

じゃあ、自分にとっての「かわいい」をどこに見出すのか、という話になります。ここまで偉そうに語ってるんだからなんかあるんだろうと思われているかもしれませんが、あえて言います。私にもわかりません。それには、以下のような理由があります。

アイデンティティの確立という言葉があります。これが私の言う根っこという表現に近いです。
思春期の成長の多くはこれで占められているのですが、案外これがよく分かっていない人が多いらしいです。そりゃそうだ。自分が何者なのかをこの時期に分かることができたら、哲学なんて小面倒臭いものは存在していません。私なんて365日24時間考えている(ちょっと盛った)のに、全く分かりません。
更に、経年していく中で、少しづつアイデンティティというのは変化していきます。例えば、アジフライにかけるのはずっとソースしか認めてなかったんだけど、醤油かけたら美味しかったから、今はどっちでもいいみたいな。つまり、人のアイデンティティが確立するのは、死んでからではないでしょうか。

しかも、タチが悪いことに、私らしさを表現するためには、あまりにも言葉が少ない世の中になっています。私らしさって一体なんなのか、1度は考えたことがあるかと思いますが、それを上手く言葉にできないという経験の1度や2度はあると思います。つまり、自分らしさなんて結局のところ、他の人間にはわからないようになっています。

だからこそ、無難な服を選ぶ人が苦手です。服さえ自分の感性に擦り寄せられず、そもそも自分の好きなものがわからない人なんじゃないかと、ちょっと困ってしまうのです。しかも、トレンドというのは、すぐに移り変わるし、誰かに操作されているものでもあります。
そもそも、そういう人たちって、自分をどこで出しているんだろうと不安になります。服は、「自分はこういう人間でーす!」と宣伝するチラシのようなものだから、そういうことを疎かにしたら、その人の感性は死ぬんじゃないかと考えています。

ここまで散々ユニクロやGUの服を着ている人のことを言ってきましたが、別にこのブランドが悪い訳では無いとも思っています。実際、私も着ますし。何も考えないで着ている人が苦手だというだけです。一応贖罪も兼ねて、私が気に入っている商品のリンクを貼っておきます。

ノルディックで可愛いワンピース。私は腰でベルト巻いてます

フレアで可愛いチェックスカート

コールドカラーのチェックパーカー。こういうのはユニクロにしかないから重宝してます

レッツ!クマ囲みライフ!