来たるべきインタビューに向けて
30歳以上の人間なら誰しも、Mステの階段を降りたり、ヘイヘイヘイに出演して浜ちゃんに頭を叩かれたり、「CDTVをご覧の皆さん」と口にしたりする自分の姿を想像するものである。そのバリエーションのひとつとして、音専誌の巻頭2万字インタビューに憧れて頭の中でインタビュアーとインタビュイーの二役を演じた人も決して少なくないはずだ。駆け出しの頃のカート・コバーンもインタビューの予行演習をノート上で行っていたそうだ。
こうした行いはナルシスティックで小っ恥ずかしい幼稚な夢想だと見做されがちである。我々がよく知るようにカート・コバーンがのちに出世したから微笑ましい挿話のひとつとして見ることができるが、そうでなかったら単にワシントン州アバディーンに残念な奴がかつて存在したという話で終わってしまう。
人はやがて自分が出世しなかった場合に備えて、こうした小っ恥ずかしい営為から手を引き、分を弁えるようになる。そして、ノートを地中に埋めたり、ブログを削除したり、ハードディスクを電子レンジにかけたりしてエビデンスの隠滅に走る。
私はこの6月に34歳になるというのに、気がつけばまるで雑誌のインタビューを受けているかのように思考を巡らせたりしている。インタビューを受ける機会なんてほとんどないにも関わらず。それはやはり私が残念な奴にほかならないからだ。
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