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体当たり考、あるいは貸し借りをチャラにすることの難しさについて

土曜日。バンドのリハがあり、その後レンタルスペースで打ち合わせ。人の話を傾聴するのは疲れるし、自分の意見を表明するのも疲れる。人と協働して何かを成し遂げるには体力と気力を要する。目覚めた瞬間から疲れており、気合と根性が圧倒的に足りていない自分にとって、これはタフな状況だといる。起きてからソイジョイ以外のものを口にしていなかったから、帰り道は低血糖でふらふらの状態だった。

駅のホームで電車を待っていると、後ろからやって来た男が、横を通り過ぎるときに肩をぶつけてきた。明らかに故意である。見ると粗野な振る舞いのわりには小綺麗な格好をした六十がらみの爺様だった。爺様はどこか勝ち誇ったような態度でリュックサックからハードカバーの本を取り出して読み始めた。どうせくだらない本を読んでいるんだろうと、後ろからじろじろ眺めていたが結局何の本を読んでいるのかわからなかった。

爺様に肩をぶつけられるまでの状況を整理してみよう。時刻は19時頃。帰宅中の私は、ホームの定位置で電車が来るのを待っていた。家の最寄り駅で降りたときに、改札と最も近くなる位置である。その列の先客は小学生の男の子ひとりのみ。本来2列になって並ぶべき場所なのだが、機材を抱えていたし、人もまばらでスペースにも余裕があったから、男の子の隣ではなく後ろに並んだ。二人して左側で待機していたので、列の右側が空いた状態になっていた。

こうした状況で、後ろからやってきた爺様にわざと体当たりされたわけだ。おそらく爺様は列の先頭に並びたかったのだろう。スペースを大きく取って爺様の進行を妨害していた私に対し、いささか暴力的な手段を用いて邪魔なんだよというメッセージを発したのだと思われる。

爺様の肩が私の肩にぶつかった瞬間、暴力的な衝動が全身を貫いた。自分のなかの動物的な部分が野生の雄叫びを上げている。怒りで体が膨張して今にも破裂しそうだ。頭の中が100パーセント報復モードになっている。物理的な手段でもって爺様に報復したくてたまらない。しかしそんなことをしてしまえばすっきりするどころか、後味の悪い結果を招くことも十分わかっていた。

報復モードになりながら、岸本佐知子の『ねにもつタイプ』に収録された「奥の小部屋」というエッセイについて思いを巡らせていた。岸本の脳の中には種々様々な武器を集めた小部屋があるという。道すがら知らない人間から嫌なことをされた場合など、その小部屋から武器を持ち出して、相手にたいして暴虐の限りを尽くすそうだ。最後は血に染まった武器をきちんと綺麗にしてから小部屋に戻す。もちろんこれは岸本の妄想の話である。このように妄想をすると気分が晴れるらしい。

岸本に倣い、頭の中で爺様に残虐的な報復を行い、気持ちをすっきりしたいところだったが、爺様が目の前で優雅に読書しているという状況では難しく感じられる。つまり目と鼻の先に爺様がいるために、距離を置いて妄想に逃げ込むことが困難なのだ。心は怒りに満ちあふれており、水圧の強すぎるシャワーヘッドのような状態だ。もはや手に負えない。

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