テンションが上がりそうなこと手当り次第

頭髪をすっきりさせれば気持ちもすっきりするのでは?という昔ながらの考えから美容院に行って髪を切った。とりあえず短くしてください。襟足は。襟足・・・。2センチ程度残しておきましょうか。はい。耳は。かからない程度で。前髪は。眉毛の上ぐらいですかね。わかりました。ではカットしていきますね。

美容院に行くのは4ヶ月ぶりのこと。2ヶ月に1回ぐらいは行っておきたいよねと常々思っているのだが、気がつけばこのザマである。髪を切ってもらっている間、タブレットで雑誌『ステレオサウンド』を読んだ。今月号から始まったという千葉雅也の「オーディオ存在論」という連載が読みたかったからだ。

続いて『BRUTUS』のバックナンバーを流し読みした。「優しい気持ち。」という特集の号である。いろんな人が出てきていろんなことを言っていたが、もっともハッとさせられたのは坂口恭平のインタビューだった。坂口恭平は自身の携帯番号を公にして、死にたくなった人は電話してみてと日頃から呼びかけている。これを「いのっちの電話」というそうだ。

色んな人の話を聞いて坂口が思ったのは、彼らは失敗への構えができていないということらしい。何か大きな失敗をしてしまい彼らは狼狽えるのだが、裏を返せば、自分はそれができて当然の人間だという自己認識があるわけである。厳しい言い方をするのなら驕り高ぶりが見られるのだ。坂口は自分で自分のことを無能だと思っているから失敗したところで別にへこまないという。

これと似たようなことは昔に読んだ岸田秀の「自己嫌悪の効用」というエッセイにも書かれていたと記憶している。端的にいえば自己嫌悪は生温い自己愛の裏返しに過ぎないというような内容のエッセイだ。大学一年生の頃、サークルの先輩やOBと飲んだ帰り道に、自分はなんてつまらない人間なのだろうか、魅力もなければ取り柄もないではないか、このままでは生きてはいけない、つらい、つらすぎるというような自己嫌悪に陥ることがままあった。そんな頃に読んだから追い打ちをかけるようにさらにへこんだ。それは、「お前さん、自分をそんなに上等なものだと思っていたわけ?」と鋭く問いかけてくるような内容だった。今でさえ少なくとも日に一度は自己嫌悪を抱くが、それはまさに甘ったるい自己愛に端を発するものだという実感がある。

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