なんだかんだ叫んだってやりたいことやるべきなのかもしれない日記
先週7月17日から配信が始まったトリプルファイヤーの新曲「相席屋に行きたい」が思いのほか好評で良かった。バンド内においては、アルバムから一曲を先行配信するのなら、定石に則り、ポップでキャッチーでわかりやすい曲を選ぼうということで意見が一致しており、他の曲が候補に挙がっていたのだが、知人友人関係者に意見を請うたところ、「相席屋に行きたい」が良いのではないかという声が多く、それに従った次第だ。それで正解だったと今にして思う。翻ってトリプルファイヤーはコンサバな選択をしがちという自覚を促された。
サブスクリプションサービスで音楽が聴かれる時代にあって、イントロが長い曲、つまり歌がすぐに始まらない曲はスキップされがちだとまことしやかに囁かれている。「相席屋」はボーカルが登場するまでに2分以上かかる。バンド内でも「イントロの長い曲」として扱われてきた。しかし、いざ世界に放ってみると、ことさらイントロの長さを指摘するようなリアクションはあまり見られず、むしろ再生を開始した瞬間から楽しんでもらえているような印象を受けた。嬉しい。
CANの「Future Days」でダモ鈴木が歌い始めるのは3分55秒ごろだ。フェラ・クティの「Zombie」では、フェラが歌い出すまでに5分21秒かかる。こうした曲を聴く場合、歌が始まるまでの数分間をイントロだと捉える人はあまりいないと思われる。
カンタベリー系やレコメン系のようなプログレのアルバムを手に取るとき、そのバンドにボーカルがいるかどうかすら意識しない。ファンクやディスコのレコードにも同様のことがいえる。前衛的、実験的なロック、あるいはアフロビートやファンク、ディスコのようなダンスミュージックでは、歌と演奏が必ずしも「図と地」のような関係にあるわけではない。
この前提は不文律としてある程度共有されているといって差し支えないだろう。しかしそれはとぅきんとぅきんに研ぎ澄まされた音楽オタクに限った話なのかもしれない。音楽に正しい聴き方などないのだし、誰が何をどう捉えようとその人の自由だ。
いずれにせよ、CANやフェラの音楽に接するかのようにトリプルファイヤーの音楽に接してくれる人が思いのほか多かったから、曲作りおよび演奏を担当している人間としては嬉しかったのだ。
「相席屋に行きたい」の元になったデモに着手したのは2019年10月のこと。シマダボーイが関係者を集めて行った『第26回環太平洋シマダ選手権』のときに参加したぼく脳バンドで取り組んだテンポの速いアフロビートっぽい曲をトリプルファイヤーでもやりたいと考えて取り組んだデモだった。
テンポの速いアフロビートと来れば、冒頭にスローなジャムをくっつけてトーキング・ヘッズ「Crosseyed and Painless」(ストップ・メイキング・センス版)をやらないわけにはいかない。「相席屋に行きたい」がハーフタイムのスローなセクションから始まるのはそういうわけだ。
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