見出し画像

交換可能な奴と交換不可能な奴の往還

つい先日まで暑かったというのにすでに冬の気配が濃厚になりつつあるなと思っていたら、また晩夏のようなメロウな気温に戻ったりして油断ならない。この時期になると、人々の気温に合わせた的確な服選びに感心する。それをもっとも強く感じるのは、毎日利用している高田馬場駅のホームに降りる瞬間だ。西武新宿線から乗り換えて山手線のホームに降りると、季節および気候と調和した出で立ちの人々が視界に飛び込んで来るのである。コートには春物と秋物があるという事実がいまだに受け入れられずにいる当方からすれば、それはまばゆいばかりの光景だ。

まずもって所有物を管理するのが苦手である。整理整頓ができない。部屋の一画を占めている服の山からその日に着るべき服を選ぶのは骨が折れる。ジョブズやザッカーバーグ、オバマ、『女の園の星』の星先生のように毎日同じ服を着るのが自分には向いていると思う。陰で「無印良品」というあだ名で呼ばれたって構いやしない。

けれども買い物が好きだからついつい服を買ってしまう。機材もそうだ。私は決して機材のオタクではない。コレクションするつもりもない。けれどもどんどん機材が増えていく。その理由は、物欲に溺れている間だけは「世界に存在することの耐え難い恥辱」から解放されるからである。要するに買い物をしているときのワクワクにできるだけ長く浸っていたいのだ。浸れば浸るほど口座の残高がゼロに近づくのは言うまでもない。

毎日同じ服装をするとしたらどういう格好が適当だろうか。なるべく定番のものが良い。その線でいえばオックスフォードシャツとチノパンが妥当と思われる。それにニューバランスのスニーカーを合わせておけば問題なかろう。寒くなればセーターやカーディガンを足せば良い。しかし問題は上着である。上着は流行り廃りがあるから意外と油断ならない。この間にダッフルコートやモッズコートがアリになったりナシになったりを繰り返している。世界は定番を定番のままにしておくことを許さないのである。

一度覚悟を決めて家にある服をあらかた処分すべきかと思う。漫画家の中崎タツヤはものを捨てるという行為が好きらしい。その結果、度を越したミニマリストのようになってしまったそうだ。そのあたりのことが『もたない男』というエッセイにまとめられている。我が家の積読本だ。

過日。美容院に行った。学生の頃から通っているから10年以上の付き合いになる。当初カットとシャンプーで2500円ぐらいだったのが、この10年で3500円に値上がりした。それでも美容院にしては安い方だろう。

予約する際に指名はしない。しかし担当してくれる美容師さんはほぼ固定されている。にもかかわらずその人の名前を知らない。こちらの名前を呼ばれることもほとんどない。髪を切ってもらっている間、あちらから話しかけてこないし、こちらから話しかけることもない。その距離感が心地よい。

ここから先は

4,097字
noteの仕様で自動更新(毎月1日)になっています。面白いと思っていただけたのならご継続いただけると幸いです。

日記と夢日記

¥500 / 月

少なくとも月に4本は更新しています。音楽、映画、ドラマ、本の感想、バンド活動のこと、身の回りのこと、考えたことなど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?