鳥居を野に放て日記

土曜日は青山月見ル君思フで久しぶりのライブ。会場へお越しいただいた皆様、配信をご覧いただいた皆様、本当にありがとうございました。会場の企画でbetcover!!とご一緒した。久しぶりに対バンという概念を意識した。ライブ自体、8月15日以来のことで、数えてみたら今年5本目とのことだった。少ない。

肌寒い季節であってもギターとエフェクターのケースを背負って移動していると汗が吹き出してくる。比較的機材は少ないほうだとはいえ重たいものは重たい。土曜は地下鉄の乗り換えを間違えて遅刻してしまった。不慣れな場所へ行くときの落ち着かない感覚、および会場に着いて荷物を下ろしたときにどっと疲れる感覚をびさしぶりに味わって、ああ、そうだそうだ、これがライブ当日というものだった、と感慨深くなった。

昔は月2本程度ライブしていたがそれも遠い過去のことだ。そのペースをこなしていたときの感覚はもう身体から失われてしまった。取り戻すのには時間を要するだろう。そもそも月2本のペースでライブするような状況が現実として訪れるかどうかも未知数である。しかし昔のような状況が戻ってくることを願っている。

本番が終わったらしこたま飲酒しようという考えていたものの、財布の中に現金がほとんど入っていなかったから、表参道にあるATMまで10分かけて歩いた。もちろんコンビニで下ろすという手もあるが、やはり手数料の高さは許しがたく散歩がてら駅前のATMまで歩くことにした。

青山という土地柄か、散歩の途中で新郎新婦や結婚式の参加者と思しき人を何度も見かけた。アメリカのコメディ映画などを見ていると、世界とうまく折り合いがつけられないまま大人になってしまった主人公が友人や兄弟の結婚式で酔っ払うなどして失態を演ずるという場面に度々遭遇する。失態の後で、親族や親友に本気の説教を食らい、奔放な生活やエゴイスティックな振る舞いを省みる契機となる。結婚式は単に新郎新婦を祝福するだけでなく、そこに立ち会う個々人の社会性を計測する機能を担った場であるともいえる。映画『パームスプリングス』はタイムループにより結婚パーティーから抜け出せなくなった男女が主役の映画だった。幸か不幸かここ数年、結婚式に出席する機会がない。それゆえに自らの社会性が測られる契機もない。このままどこへでも行けそうな気がしており、なんとなくヤバさを感じている。言い換えるとしたら他者の視線に晒されることで自らの再定義を迫られる契機が訪れないということだ。そういうヤバさ。でもワンチャン逃げ切れるかも。

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