アルバム制作に必要なものとは?
更新が滞っており大変申し訳ございません。今月も気合を入れてやっていきます!よろしくお願いいたします。
近況報告としては、なんとベース・マガジンで連載が始まるのがまずひとつ。以前から匂わせていたさる紙媒体での連載とはこれのこと。13歳でギターを始めて以来、何かとお世話になっていたリットーミュージックとまさかお仕事する日が来るとは。なんと光栄なことだろう!連載のタイトルは『全米ヒットの低音事情』。内容は読んで字のごとくアメリカでヒットしている曲のベースを分析するというものだ。やはりベース・マガジンの連載なので、採譜したりTAB譜を書いたりもしている。むろん初めてのことだから不慣れではあるけれどとても新鮮で楽しい。是非本屋さんで手に取ってみてください。そして感想も教えてください。10/19発売です。
しかし世の中に依頼ほど嬉しいものがあるだろうか。依頼と告知、それさえあれば生きていけると思っている節がある。実際の作業はすっ飛ばしてもっぱら依頼と告知の悦びだけを味わいたい。しかしそうは問屋が卸さない。実際の作業は避けて通れない。とはいえ作業は作業で苦しくもあるが基本的には楽しい。
月末に提出する予定だった原稿をおよそ一週間遅れで提出した。もう書けないかもしれないと不安になったが、書けた。とにかくアイディアが出てくるまでが毎度毎度大変だ。アイディアがまったくもってゼロというわけではないけれど、こんなことを書いて果たして誰が読むんだろうかと考えてしまうので、アイディアがアイディアとしてなかなか定着しない。これはまずい事態なのでひとまず何か浮かんだらどのような内容であってもその都度workflowyにメモを残すように心がけている。初動のハードルを下げるためにはこうした習慣が大事だ。そもそもウケてやろうと思って書いたものがウケたことなどないのだから、自分が面白がれる内容を書くしかないのだというある種の諦念もどこかで持っていたほうが良いだろう。自分が面白いと思えるアイディアを出すのが難しいのだが。
これで行くしかない!と腹を括って書き始めたは良いが、発想に飛躍がない場合など書いていておもしろくない。作文の宿題をやっているような気になってくる。どちらかというと熟考したことを文章にしていくのよりも、書きながら考えが絶えず変化していくときのほうが楽しい。それこそがライティングの醍醐味だといえよう。目的地に向かってただ移動する退屈さとあてもなく近所を徘徊する楽しさの違いといったところか。
その他のどうでも良い近況報告としては、スマホからTwitterのアプリを削除したのがひとつ。知り合いの知り合いの知り合いのいいね欄を眺めるにようになったらもはや潮時であろう。さすがにツイ道を極めすぎである。知り合いの知り合いの知り合いのいいね欄と自分の人生が一体どのような関係があるというのだろうか。ここまで来てしまったらアプリを消す以外に方策はない。スマホのブラウザから見るという手も残されているが面倒なのでやっていない。だから外出先ではTwitterを見ないというルールが形成されつつある。
PCのchromeには「おだやかTwitter」と「Better Twitter」を拡張機能として入れている。これらを入れると「いいね」やRT、フォロー、フォロワーの数字が消える。広告、トレンド、おすすめユーザーも消える。あらゆるノイズを非表示にすることができる。最近は誰かがRTしたツイートも非表示にしている。自分のフォロワー数ももはや把握できない。フォロワーの増減に一喜一憂することもない。初めからこれで良かったのかもしれない。
おそらくSNSをやめたいと考えている人は少なくないはずだ。それでも簡単にやめられないのはサービスを提供する企業のほうが依存性を高くするようにデザインしているからだ。しかしそれだけが原因ではないような気もする。軍拡競争のような状態になっていいて後に引けなくなっているのではないかと考えている。相手がやめない限り、こちらもやめるわけにはいかない。本当はイキりたくないのだが、こちらがイキるのをやめると相手に一方的にイキられてしまうことになるから、やむを得ずイキるしかないという軍拡競争的な構造がSNSにも見られるわけだ。こんなことを言っていると、お前さんは一体何と戦ってるの?とシニカルに言い放つ向きがあるかもしれない。たしかに、と思う。
ところでいささか唐突だが、アルバムの制作において最も重要なものは一体何だろうか。クリエイティビティか。インスピレーションか。情熱か。予算か。計画か。どれも重要であろう。これらはひとつとして欠かすことのできない要素だ。現在制作中のアルバムに関していうのならば、改めて業務連絡の重要性を痛感したのである。
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