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1日目(3) -「ようこそいらっしゃいましたぁ」

(前回の記事)

 小一時間も眠った頃、担当に起こされる。この日は運良く「入浴日」に当たったので、呼びにきたのであった。
 同房の刺青氏、ニヤニヤしながら「初犯で入ってすぐ寝ちゃう人は初めてっスよ」と言う。

 風呂というとやはり脳裏に浮かぶのは、過去にドラマや映画で見た、看守に見張られたまま号令にあわせて入浴する、という図である。これもいずれ拘置所で体験することにはなるのだが、まだここ、留置場ではごく普通に入浴ができる。この時は何しろ初めてなので、担当に作法を尋ねると、「別に決まりはないよ。まあ、常識の範囲内で、ゆっくり入っていいよ」とのことであった。

 風呂場は、多少広めの家庭風呂、といった態であった。湯船はごく普通の家庭用ステンレス浴槽で、洗い場が若干広く、シャワーが二口ついている。壁の少し高い位置に小さめのサッシ窓があるが、当然、細かい格子が入っている。さすがに湯は多少汚れてはいるものの、気になるほどではなかった。

 僕が入ったのはもう夕方だったので、ほかには誰もいない。ゆっくりと湯船につかる。窓からは、夕焼け色の空が見える。表通りの車の音も聞こえてくる。まだ何となく、実感がわかない。存外、気分は落ち着いている。ただ自分でも、まだ事態がわかっていないのか、既に諦めているのか、それとも心が事態を拒絶しているだけなのか、判然としない。

 風呂から上がると、夕食の時間であった。ここでは午後五時からが夕食の時間である。食事は弁当で、僕のいた期間中はずっと同じ弁当屋からの仕出しであった。実に質素な弁当であり、実に不味い。これに関しては後刻述べることもあるだろう。食い物の恨みは怖いのである。ただ、この日はさすがに食が進まず、半分位を残してしまった。

 ここでの消灯は九時である。夕食後には特に何のイベントもないので、各自思い思いに時を過ごす。

 全期間を通して言えることなのだが、「いかにして時をつぶすか」で、ここでの生活が快適(?)になるかどうかが決まる。たいていは差し入れの本や雑誌を読んだり、手紙を書いたりと、静かに過ごしている。

 しかし残念ながら、捕まったばかりの僕には差し入れも何もない。と、言う人のために、ここにはささやかながら蔵書があった。これは、いらなくなった差し入れの本が寄贈されたもので、つまりは犯罪者の善意によって成り立っている蔵書なのである。小さいながらもキャスター付きのラックにぎっしりと、雑誌や小説の類いが入っている。本が見たくなったら鉄格子越しに大きな声で、「すんませぇーん」と呼ばわる。すると担当の巡査がやって来るので「本をお願いします」と言うと、房の鍵を開けてくれる。あとは自分でラックまで行き、好きな本を選べばよいのである。唯一問題点があるとすると、多少、蔵書の傾向に偏りがあるという点であろう。雑誌ならば「実話」系、漫画ならば「湘南爆走」系か「男塾」系、小説ならば「新宿鮫」系と、見方によれば統一感があるのだが、こればかりではいささか腹ふくるる思いも無きにしもあらずである。

 例外として「ワンピース」はずらり当時出ていた全巻並んでおり、これは常に誰かが借出しているので、なかなか欲しい巻がラックに無く、後刻歯がゆい思いをすることとなる。ここに入っている男たちの大半は、実際に「実話」系の猛者ばかりなのだが、何気に「ワンピース」は人気なのであった。

 閑話休題。

 この夜、同房のボウズ氏にこのシステムを教えてもらい、僕もさっそく本を借りようとした。と、どこかの房から「一房の新人さん、聞こえますかぁ?」と、声がかかった。
「一房の新人さん、聞こえますかぁ?」場所柄に似つかわしくない、呑気な調子である。ボウズ氏が「おっ、始まったね」と、ニヤニヤする。
「……ハァ」と、僕が間抜けな返事をすると、
「ようこそいらっしゃいましたぁ」
 あちこちの房から、どっと笑いが起こる。さすがに呆気にとられた。ここで、この明るさはいったい?
「ところで、なんで捕まったんですかぁ?」
 いきなりの核心を突く質問である。
「……大麻です。……」
「葉っぱですかぁ。で、初犯っすかぁ?」
「……はあ……」
「じゃあ、ひと月くらいで出られますねぇ」
「……ほかに、キノコも出ましたぁ……」
「キノコもっすかぁ。じゃあ、もうちっとかかるかも知んないですねぇ」
「……」
「まぁ、この夏は猛暑みたいだし、ここは冷房完備なんで、ゆっくりしてってくださぁい」
「…………」
「こら、いいかげんにせんかぁ」ここでようやく担当から声がかかり、なんだか呆気にとられている間に「取り調べ」は終了した。
 ボウズ氏によると、この男は前川(無論、仮名です。今後登場する人物名は、すべて仮名にしてあります)といい、現在この留置場では最古参の一人で、むやみと明るい、いわばムードメイカーであるらしい。しかし、シャバではちと知られた暴れん坊だそうで、今回も傷害で入っているとのこと。翌日会ってみると、人の良さそうな顔をした、一見好青年であった。世の中、そんなもんである。

 ともあれ、こうして僕の生涯一番長い日は終わったのであった。

(つづく)


※この記事は2003年に執筆されました。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。