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7日目 - 素人だったのが、運の尽き

(前回の記事)

 逮捕されて一週間、ようやく初めての本格取り調べがある。10日間の勾留の半分が何もなし、というのもいかがなものかと思うが、まあ、しようがない。
 取り調べは、六畳くらいの狭い部屋で行われた。部屋には格子のかかった窓があり、机一台に椅子が二脚。この辺りは、ドラマでよく見かける取調室のまま、殺風景な部屋である。
 逮捕初日の取り調べはもっと狭い部屋だったようにも思うが、実のところ、まだかなり酔っぱらっていたのと、やはり多少のパニック状態にあったのか、あまりはっきりとは覚えていない。当時の日記を見ると、「三畳くらいの窓のない部屋」となっているので、この日の取調室とは違う部屋だったようである。

 この日、朝食が済むとすぐ、呼び出しがあった。一週間ぶりに、手錠、腰縄を付けて留置場を出る。といっても、出るとすぐ取調室なので、ものの1分後には取調室に座っていた。入り口を入って、デスクの奥に僕、ドア側が刑事である。座ると手錠は外されるが、腰縄は椅子に縛られる。
 僕の担当刑事は荒木氏。角張ったあごに、細い目、今時あまりみられない大きなティアドロップタイプの眼鏡、パンチパーマ。場所が場所なら、どちらかというと「塀の中」にいた方が似合いそうなルックスである。
 物腰はごく穏やか。栃木弁でゆっくりと話す。時折軽いジョークも飛ばすのだが、いささかオヤジギャグにすぎ、笑うに笑えないのにはちと困った。証拠を突きつけて、こちらが認めると、「そうだべぇ、間違いないべぇ」と、実に満足げに笑いながらふんぞり返るのが、何となくご愛嬌である。

 取り調べは、至って淡々としたものであった。
 証拠品を一つずつ見せられ、入手先、連絡方法等を一つ一つ確認していくだけである。

 さて、僕が逮捕されたのは、大麻購入の容疑である。当時僕は、インターネットを通じて知り合った「売人」から、宅急便で購入していたのだが、その「売人」が捕まった際、僕への送り状をそっくり取り置いてあったため、僕も逮捕されるに至ったであった。さすがに、その送り状を見せられた時は、いささかならずげんなりとした。こんなものを取っとくとは! 荒木刑事も苦笑して、「相手も、素人だったのが、運の尽きだ」……。

 携帯の通信記録。携帯に残っていたメールが、すべてプリントアウトしてあり、売買に関する通信がペンで赤く囲んである。それはよいのだが、キャバ嬢とのおバカメールがいささか恥ずかしい。

 売人が逮捕時に持っていた、僕に送る直前の大麻の包み。青々としたシンセミアがVHSのプラケースに入っている。マジックで「ヤバい状況になったので、これが最後です」などと殴り書きがしてある。ンなこと書いてるヒマがあるなら、送り状を処分しなさい!
荒木氏「これ、なんだかわかるか?」
僕「マリファナですね」
荒木氏「これがどういう部分か、わかるか?」
僕「……シンセミア……ですね」
荒木氏「これ、効くのか?」
僕「はあ、最高の部分ですね」
荒木氏「オメ、なぁに言ってんダァ!」

 誘導尋問? 僕がバカ?

 取り調べは昼食を挟んで夕方まで続き、午前中はコーラ、午後はコーヒーを飲ませてもらった。

 ところで、初日の取り調べ時に荒木刑事から「誰か、連絡を取ってもらいたい人はいるか?」と聞かれ、そのとき働いていた会社の人と、妹を頼んでいた。後者はともかく、前者に関しては、仕事上、自分がこういう状況になったことを正確に知らせておかなければならない事情があったのである。なにしろ接見禁止がついているので、弁護士か、担当刑事を通してでないと、外部の連絡はつけられない。幸い、会社の人には連絡がついたようであった。ところが、妹にはまだ連絡がつかないとのこと。妹に連絡がつかないと、必要なものを買うことすらできない。「運動」時に喫うタバコも、すでに誰かが置いていってくれたタバコである。聞くと、「ずっと留守電なんだよね」そこで、留守電に入れても差し支えないので、連絡を取ってもらうよう、再度依頼する。

 取り調べが終わると、刑事がノートパソコンで調書を打つ。調書はその場でプリントアウトされ、刑事によって読み上げられ、内容に異議がなければ指印を押す。
 ところで荒木刑事、この手の作業は苦手と見えて、調書作成にむやみと時間がかかる。取調べの内3分の1は、荒木氏がちまちまとキーボードをたたくのをボォーッと眺めているだけなのである。あまつさえ「この字はどうやって出すんだ?」と聞かれたことすらあった。もっとも、世の刑事たちの名誉の為に付言しておくと、速い人は速く打つらしい。同じ房に入って居る人の担当は、世間話をしながら、手元も見ずにサクサクと打っていたそうである。

  部屋に戻ると、差し入れがあった。マイルドセブン、1カートンと、雑誌の『フラッシュ』である。誰かと思ったら、先日釈放されたボウズ氏であった。ほんの4日ほど一緒に過ごしただけだが、とても嬉しいものであった。
 ところで、ここの署特有な決まりらしいのだが、ここでは雑誌の『袋とじ』が禁止であった。前もって袋とじを開いてあるとそのまま差し入れてもらえるのだが、閉じたままだと、袋とじごと取り去られてしまうのである。これは、担当に聞いても、刑事に聞いても理由は定かではなく、ずっと以前からの決まりである由。いずれにせよ、ここの署の留置人は、袋とじを開ける楽しみを奪われているのであった。

 夜、僕の房の住人が一人増えた。トビ氏、63歳。四国の出身で、現在はここ栃木でトビの親方をしている。さすが、60を超えて血気盛んなトビ職人を束ねているだけのことはあり、実に元気である。夜寝る前に必ず腕立て伏せをするのだが、僕の3倍の回数は軽くこなす。
 ただ、血気盛んな分、反骨精神も旺盛で、来るなり担当看守に文句の言いづめであった。ことあるごとにむやみと噛み付く。さらに、五分ごとに担当を呼びつけて、本の交換をする。その度に房の鍵を開けてもらうのだが、何度目かに開けてもらった際、こちらをみてニヤリとしながらウインクをした。官憲に対する反骨精神には敬服、内心いささかの快哉も呼んだのではあるが、正直、ジさまのウインクは不気味であり、一気に当方の気分は冷え込んでしまった。

(つづく)


※この手記は2003年に執筆されました。文中の人物名はすべて仮名です。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。