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65日目 (1) - ついに初公判

(前回の記事)

 初公判。午前10時より、宇都宮地方裁判所第303法廷。

 朝の運動後、半月ぶりに手錠、腰縄を付けて留置場から出る。あちこちの房から、「がんばって下さい」と声がかかる。
 懐かしきステップワゴンに乗って、警察署を出る。署内から出るのは、実に1ヶ月半ぶりである。護送車のスモークガラス越しの世間は、不必要なほど眩しく目に映ずる。

 裁判所に着くと、しばらく廊下で待たされた。外光の入ってくる廊下は久しぶりである。つい、サンダル履きの足をブラブラさせて、注意される。留置場では、常にサンダル履きなのである。少しく、浮き浮きしているのを自覚する。
 やがて腰縄をはずされ、法廷に入る。手錠はつけたままだったように思うが、当時の日記を見てもこれに関しては触れておらず、定かではない。

 ドラマや映画でよく見かける「法廷」。傍聴席を見ると、この日、情状証人として立ってくれるS氏と、一緒に来てくれたK氏、あと数人は、見知らぬ人もいた。
 刑務官に促され、被告人席へ。すでに検事は着席している。しばらくすると増田弁護士が「遅くなってすみません」と入って来る。なんだか、だらしのない弁護士である。検事は、取り調べにあたった検事とは別の人であった。
 振り返って、再び傍聴席を見てみる。証人に立つので緊張しているのだろうか、硬い表情のS氏と、なんだか笑いを押し殺しているような表情のK氏。ニッと笑いかけると、K氏は小さく片手をふってくれたが、S氏は無反応であった。

 「起立!」と、声がかかる。裁判長の入廷である。

 裁判長は女性であった。年の頃なら、30半ばから後半くらいか。ちと冷たい感じはするが、美人である。実はこの人、有名人だそうで、僕の公判召喚状が届いたときに同房の人に名前を見せると、「ああ、知ってる。けっこう融通のきかない人で、刑罰も重いよ」と、脅かされていたのである。

 「被告人」
と呼ばれて、証言台に立つ。宣誓をするように促される。もともと裁判は欧米からきた風習なので、僕たち日本人には馴染みのない「宣誓」なるものがある。紙ペラ1枚に宣誓の文言が書かれてあるのをボソボソと読み上げ、最後に「誓います」と唱える。文言にはいちいちルビが振ってある。これは、教育のない者にも読めるようにとの配慮であろう。後刻、拘置所で、同様の文書を目にする事となる。

 宣誓が終わると、人定質問。僕が間違いなく、被告当人であるかどうかの質問である。住所、氏名、生年月日等を問われる。これは間違えようもないので、スムーズにクリア。
 次いで、訴因の朗読。裁判長から、「起訴事実に間違いありませんか?」と言う問いがある。無論「ありません」と答える。

 起訴状の朗読。
 メガネの中年検事が、実に興味なさそうに棒読みする。別段ドラマチックにとは言わないが、もう少し感情を込めてくれても良さそうなものである。僕の場合はたいして長くはなかったが、ニュースでも時おり見かけるように、複雑な事件だと、午前中いっぱい起訴状の朗読、というのもあるのもわかる。裁判長以下、みんな同じ訴状を手にしているので、時間の無駄としか思われない。

 裁判は淡々と進む。


※この手記は2003年に執筆されました。文中の人物名はすべて仮名です。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。