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8日目 - 猛者たち、本性発揮。

(前回の記事)

 朝の運動時、隣の房と一緒に出るので、僕たち一房は、いつも二房の人たちと一緒になる。この中に、一人の中国人がいた。彼はケンさんと呼ばれており、実に陽気な男である。彼の周囲にはいつも笑い声が絶えなかった。無論、日本語はペラペラで、韓国語も話せる。
 彼は不法滞在で早晩、強制送還の身なのだが、捕まったきっかけはひき逃げであった。
 今朝、判明したこと。彼のひいた男というのが、僕と同房の刺青氏の同僚だったのである。
「あれ、お前がやったのか……」
 刺青氏絶句。

 昼食時、ちょっとした事件が起こる。弁当屋が数を間違えたらしく、僕の房への配膳が遅れてしまう。怒った刺青氏、今後一切の食事を拒否する。
 一見「勝手にせい!」ですみそうな宣言とも思えたのだが、そうもいかぬようで、部長が出て来て頭を下げ、事は収まった。もっとも「部長」といっても、留置場の中ではそれほどの役職でもない。世間では「部長→課長→係長」の順かと思うが、ここでは「係長」の方が「部長」よりも上なのである。何となればこの呼び方、「部長」はただの「巡査部長」の事であり、「係長」というとその上の「○○係」の長なので、係長の方が上である由。

 昼食後、2回目の取り調べ。相変わらず、荒木刑事のパソコン入力は遅い。妹へは未だ連絡つかず。あらためて、知人の篠原氏に連絡を頼む。いずれの場合も連絡先は覚えている訳もなく、携帯のメモリーがたよりである。携帯は証拠物件として押さえられている。畢竟、刑事に連絡を頼む以外ないのである。早く誰かと連絡が取れないと、「購買」で買い物もできないのである。

 房に戻ると、刺青氏とトビ氏が話をしていた。何でも、刺青氏とトビ氏に共通の知人がいる由。一日に二人も、偶然、共通の知り合いがいることを知った刺青氏、いつもは無表情なのだが、何とはなしに嬉しそうであった。

 ここでの生活は、世間から隔絶されたものである。オンタイムで世間一般のできごとが耳に入ってくる事は少ないのだが、それでもいくつかの情報源は与えられる。

 新聞。朝食後、運動の行われている時間に回覧される。毎日新聞であった。
 しかし、ところどころ切り抜かれて穴があいている。ここには当然、「組関係」の人も多いのだが、新聞の記事中、これらに関する記事、やれ抗争が起こったの、どこそこで発砲があったのといった記事は全て切り抜かれる。また、現在留置中の人物に関わる記事も全て切り抜かれる。従って入りたての「新人さん」は、逮捕翌日の新聞のポッカリと切り抜かれた穴を見て「アー、この穴ってオレの記事なのかも……」と心を痛める事となるのである。
 ちなみに、僕の記事は別に出なかったようである。

 『お昼のNHKニュース』。午後の「おやつ」の時間に流れる。正午のニュースを録音したものが流れるのだが、時おり流れない事がある。そういう時は、かえって留置場内がざわざわする。何かしら留置人に聞かれたくない内容であったからに他ならないのである。

 一度だけ、チェック漏れだったのだろう、銃撃事件のニュースが一瞬流れた事があった。「本日、××町の路上で、銃撃事件がありました。撃たれたのは、地元の……」ここでブツッと放送は打ち切られたのだが、時すでに遅し。場内騒然。日頃は猫をかぶっている猛者たち、たちまち本性発揮。「オラァ、続きを聞かせろ!」「誰がやったんじゃあ!」ここには、敵対する勢力の者も一緒に入っている。一気に緊張感が高まったのであった。

 夜、ここにもたくさんいる「不法滞在外国人」の一人、人気者のペルー人が強制送還になるので、恒例の「送別会」が開かれる。そのルックスから、「組長」と呼ばれているオヤジさんの『山谷ブルース』から『雪国』へのメドレーがおかしい。

(つづく)


※この手記は2003年に執筆されました。文中の人物名はすべて仮名です。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。