『眩く眩む』のお話について
どうも、ムシラセ保坂です。
『眩く眩む』最終稽古前にこれを書いています。
眩く眩む(まばゆくくらむ)は『集団創作とハラスメントとクオリティの行先』をテーマにした作品です。
テーマにはしていますが、このテーマに解を提示するつもりで作品は作っていません。
わたしが結論をだせるような問題ではないし、善悪で区別がつけられるほど簡単な問題ではないと感じています。
もちろん、ハラスメントが絶対悪なのは大前提として、という意味です。
私はすごくハラスメント体質の人間という自覚があるんですが、
今回の稽古場でも危ない場面がありました。
『いまのは危ないよ』と言ってもらえて気づきましたが、
こんなにこのテーマに向き合っているつもりでこれかと、
自分がやっぱり最低から始まっている人間なんだと思い知らされて生まれて初めて帰り道ペットボトルの水を頭から被りました。
指摘してくれたこと、ごめんなさいと素直に言わせてもらえたこと、ちゃんと向き合ってくれる座組で助かりました。
キャストの皆さん、演出助手のまなみ、あの時はごめんなさい。
改めてありがとうございます。
でも、水をかけたくらいで人は変わらないし、冬ならやってないだろどうせ、って自分に思います。
その場しのぎのポーズなんていらなくて、
『何かを作ってるんだからそんなこと仕方ないじゃないか』と逃げずに、
どうしていけばいいのかと考え、諦めずに一緒に話を続ける他ありません。
向き合った先の明日に希望はあると信じたいから。
ドラマとして伝えたかったので、
直接的な文言や表現は避けて脚本を書きました。
この物語はあくまでフィクションですが、
私が演劇に求めることは『嘘だけど、嘘がないこと』なので、
お稽古を進めるにつれ、
心が震えるお芝居を求めるほど、
フィクションには見えなくなってしまう生身の説得力を感じています。
本当に、みんな生きています。
公演が終わって登場人物たちに会えなくなるのが寂しくなるほどに。
生きているから、
脚本で『この表現であれば問題ないのではないか』と認識していた範囲から溢れ出してしまっています。
みなさんの心の健康のために改めて作品についてお知らせさせてください。
この物語はあくまでフィクションですが、
今作品が醸成され、物語を超えて観客の皆さんに届くものが大きくなったと実感して、改めて題材についてお知らせします。
今作品は「集団創作とハラスメントの行先」をテーマに創作しております。
ムシラセでは、これまでさまざまな愛情と痛みを描き続けてきました。
今回はハラスメントを題材の一つとしているため、ハラスメントによる痛みも劇中で取り扱います。
直接的な文言は避けていますが、
人により表現が強いと感じる場面があります。
カンフェティでご購入済みのお客様にはメールでご案内をお送りします。
チケット購入をご検討中のお客様は、ご観劇前にご留意いただきますよう、何卒よろしくお願いいたします。
ご質問等は
mushirase@gmail.com
までお願いいたします。
「パワハラ」そのものに白黒決着がつくようなお話ではありません。
どの立場も擁護もしないつもりで平等に作っています。
見る目線が違う、さまざまな立場の人が何かの愛に向かって走っている渦中のお話です。
私は痛みと愛についてずっと書いているのだと、これから先もそうなのだろうと、この作品を作ってわかりました。
これは、このテーマと企画に最初から関わってくれている藤尾勘太郎に言われたことです。
※09/04 勘太郎がブログをかいてくれましたので追記しておきます。
私は、人が好きです。
観にきてくださったお客様になるべく幸せになってほしい。
世界は絶望だらけで、生きるのは大変だからできるだけエンターテイメントを見せたい。
なのに矛盾だらけのお芝居です。
でも、今これをやらないと先には進めない。
もう腹は決まっているので、もしよければお付き合いいただけますと幸いです。
ムシラセ 保坂萌
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