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俳句と仏教の共通点

私は時間があれば俳句を作ります。

五・七・五の短い詩はとても難しいけど、心を落ち着かせるにはとても良いです。

俳句の良いところは”意味がない”というところです。

短歌も漢詩も散文詩も言葉に想いをのせます。

俳句は必要以上に想いをのせません。

想いを乗せたとたん”野暮な句”とさえ批評されます。

俳句は読者にゆだねる側面があります。

だから良い句というのは天衣無縫、変幻自在に私たちのなかに入り込んできます。

私は俳句のそういうところが好きです。

自我から解放されたみたいですごく楽になります。


俳句は季節を感じるものです。

1句につき1つだけ季語を入れなくてはいけません。

否が応でも季節を感じることができますね。

どこに季節を感じるのかはその人の感性、経験によるものなのでそれがまた面白いです。

俳句は”伝えるもの”ではなくて季節を感じる素朴な芸術なのです。

俳句と仏教とは共通点があると感じています。

それは”無我になる”ということです。

般若心経ではそれを

色即是空
空即是色

といっています。

絶対的な我はないということです。

常に変化しているということです。

水がお湯になり、蒸気になる様なものですね。

”無我”と並んで大事な概念が”縁起”です。

「縁起がいい」とか「縁起が悪い」とか言いますよね。

そこには、なんらかの”因果関係”が潜んでいます。

そして、”縁起”というのは因(原因)と果(結果)に関係しています。

例えば畑で作物を育てるために種を植えたとします。

種→芽→作物

という変化は”無我”です。

さらに物事を細かく見ていくと
種(因)→縁起(天候・水など)→作物(果)

ということになります。

つまり、果は因のほかにも多くの縁起によって成り立っているということです。

例え良い種が入手できたとしてもそのシーズンの天候や育て方によって作物の出来具合が変わります。

つまり、世の中はすべて相互依存で出来ていると考えるのが仏教です。

なので私は”生かされている”ことをかみしめながら生活していこうと思います。

合掌



これからも精進していきます。 もしよろしければ、お布施をお願いします!