宗教は学問にあらず

宗教は、学問にあらず。

宗教とは、実践してナンボの世界です。

なのに世間では”芸”として宗教をこねくりまわしたり、老後の趣味として”言葉遊び”のようなものになっているような気がします。

実際に、私は宗教の書物を読みますがほとんどが学問としての書物でした。

○○和尚は何をしたと言われているが、それには諸説あり私はこう思う。なぜなら和尚の気持ちを考えたら云々・・・

もう、ほとんどファンタジーの世界です・・・

宗教に興味がある人ってそんなことどうでもいいんですよね。

宗教の成り立ちなんてほとんど書物に残っていないので調べようもないのだから・・・

それよりも、その宗教の考え方、あり方を知って救いを求めていると思います。

なので宗教の書物は教えを実践してみて、どう感じたかという”生の声”が必要なのです。


私がいま生きている人のなかで、尊敬している人がいます。

それは・・・

チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世です。

あの人はすごい!

と言ったら信者に怒られちゃいますが笑

日本に出回っている宗教の書物があてにならないので、ダライ・ラマ法王の書物を読みだしたら止まりませんでした。

すっと腹落ちする感覚になります。

法王の何がすごいのかというと、最高指導者でありながら常に実践者であるということ。

誰よりも努力なさっているお方なのです。

なんと朝3時に起きてずっと修行されてるらしいです。

それをもう何十年と続けられている。

すごいですよね。

僧侶ならそんなのあたりまえと思われるかもしれませんが、修行し続けられる僧侶はごくわずか。

大多数が学問として宗教を学び、それが宗教の本質だと思って人々に伝えるのみです。

なので、全然人に響かないのです。

その点、法王は非常にバランス感覚が素晴らしい。

修行してそれを人に伝えるということは簡単なようでできません。

人ってどこか偏っていると思うからです。

精神性(スピリチュアル)か学問的どちらかに偏りがちです。

そのあたり、法王はうまくバランスがとれていて感心します。

いつか、ダライ・ラマ法王とお会いしてみたいですね。

ダライ・ラマ法王の著書を紹介しておきます。

この本はどの仏教書よりも分かりやすいのでおすすめです!

般若心経というと、抽象的でちょっとわかりにくいのですが、ダライ・ラマ法王が分かりやすく解説してくれているのでおすすめです。

おかげで私は般若心経が好きになりました。


私たちはこれからどうしたら良いのかといいますと

日常から宗教を学ぶことです。

普段、日常生活を送っていると感情が揺さぶられることがあると思います。

いいのです、揺さぶられて。

それを慈悲の心を持って眺めてみる。

これこそが大切なのです。

一言で言いましたけど、これって結構難しいです。

ついカッとなったり、落ち込んだりしますよね・・・

そのようなときに修行だと思いましょう。

内心、「それどころじゃねーよ!」って思う時もあります。

”慈悲”ってなんだっけ?と見失う時もあります。

そういう過程ひとつずつが修行なんですね。

その一歩一歩が活きた宗教になるのです。

知識をつけるよりも実践してみること、感じてみることが大切なのです。


合掌

これからも精進していきます。 もしよろしければ、お布施をお願いします!