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病気・障がいを負ってでも「生きたい」

こんにちは。むしゃ子です。

私は、自分のような障がい児ママが自分と子を受け入れて、笑顔で子育てできるように活動しています。

今回も、むしゃ美について。

実は、NICUを退院する時に主治医の先生から大事な話をされました。

脳の病気、障がいについてです。

では、どうぞ。

脳の病気を告げられて、地獄に突き落とされた気持ちに

むしゃ美は、在胎週数35週にて出生し

心臓の病気である「卵円孔早期閉鎖」に伴い
出生直後に呼吸障害を認めました。

この病気により、心臓のある部分がきちんと成長できていなかったために

出生直後から全身へ、充分な血液を送り出すことができず

それに伴って、脳への血液も不充分でした。


出生直後の頭部のエコーで、「脳室周囲白質軟化症」「脳出血」が疑われ

生後13日目のMRIで、診断が確定されました。



頭部エコーの時点では私は、
「何かの間違いでしょ?大丈夫よ」と軽く受け止めていました。


当時、私は既に退院し
週2回むしゃ美の面会のため病院に通っていました。


NICUに入室し、むしゃ美にやっと久しぶりに会えて
幸せな気持ちで浸っていた時でした。


主治医の先生と看護師さんが近づいてきました。

「MRIの結果が出ました。可能であればお父様にも説明させて頂きたいのですが」と。

「所見はありましたか?」と先生に聞くと

「所見はあります」と、はっきりと先生はおっしゃいました。


目の前が真っ暗になった瞬間でした。


別室へ行き、リモートで夫にも先生の説明を聞いてもらいました。

先生は、パソコンでむしゃ美の頭部のMRI画像を見せてくれて
一つ一つ丁寧に説明してくれました。


画像の中の黒い部分と、白い部分。

私は、作業療法士で日頃から画像をよく見ていたので

明らかに正常ではない部分がちらほらありました。

夫は診療放射線技師で、日頃から新生児のMRIを撮っていたこともあり、
かなり冷静に画像を読んでいました。


主治医の先生の説明では

「脳へのダメージにより、脳性麻痺になる可能性がある。
将来は、歩ける子もいる」


「脳性麻痺………か………….」

「まじか。歩けない子が大半なのか」


「脳性麻痺」という言葉の衝撃がすごかったです。

職業柄、私は症状を知っていたからです。
どのような生活になるかも。


「車椅子……..か………」


所見がないことを願っていたばかりに

病気を診断されて
それも将来、「障がい」が出てくるかもしれないことを告げられて


地獄に突き落とされていたような

頭が真っ暗?真っ白?になるような

その時は、生きた心地がしなかったです。


ちょうど、その日は病院へ送ってくれたのが私の父親でした。

脳の病気を告げられて、
面会から帰ってきた私の姿は、(表現が悪いですが)顔が死んでいたそうです。


自分を責めずにはいられなかった

面会から帰り、父や母にすぐに説明して

それからは、自分を責める気持ちが絶え間なく続きました。


むしゃ美に診断された脳の病気は、早産によくあるもの。

そして、もともとあった心臓の病気は、
早産ではなく37週以降の正期産で生まれていれば、脳のダメージはなく、
何事もなく生活している例がSNSにあがっていました。


「あの時、私が破水しなければ。あの時もっとお腹の中でむしゃ美を育ててられていたら」


そんな気持ちでいっぱいになってしまい。

自分を責めずにはいられませんでした。


「むしゃ美に大変なことをしてしまった」


後悔しても、しきれない。


今思えば、誰のせいでもないのにね。


でも当時は、そのように思えませんでした。


病気・障がいを負ってでも「生きたい」

むしゃ美がNICUを退院する時に
再び、主治医の先生から説明がありました。

心臓と、脳の病気について。

「産院で産まれていたら、間違いなく亡くなっていた方でしょう」と。

今回、出産場所が総合病院であって、
出生直後に適切で高度な医療が受けることができたから、

むしゃ美は生き延びることができたんだそうです。

ゾッとしました。

亡くなっていた命かもしれない。

総合病院へ搬送されて良かったと素直に当時は思いました。


それでも、未だにむしゃ美に対して、申し訳なさがあって
早産になったことは、まだ後悔してました。


退院して2〜3ヶ月経ったある日。

気分転換にむしゃ美をベビーカーに乗せて

私の妹と3人で散歩していた時のことでした。

私の妹は7歳、年下で。

妹に、むしゃ美のことをわかりやすく出産当時のことや、医師に言われた方などを説明していた時のことでした。

この時、説明しながら、私の頭の中で整理されて、
あることにやっと気づくことができました。


35週で破水できたから、むしゃ美が今生きていることを。

振り返ってみれば、本当にドンピシャでした。


37週以降であれば、産院で産む予定であった。

36週であれば、隣町のNICUがない総合病院へおそらく搬送になっていました。

35週であったからこそ、車で1時間半かかるNICUがある総合病院へ搬送され、
出産できて

速やかに高度な医療を受けることができた。


むしゃ美は生きるために35週で産まれてきたんだと思いました。

「病気や障がいを負ってでも、生きたい」


そう気づいてからは、早産になってしまった自分に対して責めることはやめました。

「むしゃ美は強い子だ」

「むしゃ美が選んで来てくれたことを誇りに想おう」


「精一杯育てよう。力になろう」

そう思えました。


赤ちゃんの生命力ってすごいですね。


今回は、ここまで。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます!


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