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書類選抜通過!

2022/04/22 正午。泣きまくった。

発達障害があっても落とされないことがわかった。
これは私の合否に関わらず、多くの人に希望を与えるJAXAの英断だったと思う。


なお「書類選抜」という言葉は誤解を招くので補足しておくと、今回選抜で見られた要素は
・健康診断結果
・健康状況申告(自身の既往歴や服薬歴等を申告する問診のようなもの)
・応募資格(募集要項を満たしているか)
の3点のみ。

一般的な就活の書類選抜とは違い、エントリーシートの志望動機や熱意などは見られない。
端的に言えばその人の健康具合と実務経験年数という「数字」だけを見られた。



健康診断のこと

宇宙飛行士の健康診断は、自身で病院を探すところから始まった。
都内で数十件人間ドック専門の病院へ検査できるか電話をかけたが、医療現場が逼迫していることや、必要な検査項目が大量であることから、お断りされる日々を過ごしていた。

その後選抜試験用のTwitterアカウントを開設し、同じように健康診断先を探している方を探す方向にシフトした。その際「航空身体検査を行っているところだと引き受けてもらえる可能性が高い」という情報を聞きつけ、ようやく受診先が見つかった。宇宙飛行士へ向けて第一歩が踏み出せた気がした。
気持ちの面だけでなく、事実として想像以上に重い一歩目だった。


そうした困難を乗り越えて迎えた健康診断。
特に異常な数値は見られず、安堵していた。
しかし最後の医師の問診にて、その安堵は絶望に変わった。
検査結果的には問題ないけれど、特性や服用している薬を見ると、宇宙飛行士は難しいんじゃないかな。少なくともパイロットならアウトだよ。」と。

覚悟はしていたつもりだった。が、心臓を握りつぶされた気持ちになった。

自分の生まれ持った身体、特性。これは変えられないものだし、変える必要もないと個人的には思っている。なぜならそれが自分を自分たらしめるものであるから。


だからとにかく祈り続けた。
ふだん決して行かない神社にまで行った。
JAXAが募集要項に書いていた「多様性」を信じて、自分の人生をだれかに委ねているような苦しい感覚の中で毎日を過ごしていた。


2022/04/22 正午

書類選抜結果が発表される運命の日。
今日で私の挑戦は終わるかもしれない、と正直思っていた。
朝から仕事は手につかず、部屋を歩き回ったり明らかに落ち着きがなくジャッジを待っていた。

そして正午。「通過」の文字。
一瞬理解できなかった。何度も読み返したり、音読したりした。
そうしているうちに涙が溢れてきた。
すぐに両親へ連絡した。「こんな私でも、挑戦を続けていいと言われた」と。人生で一番泣いたかもしれない。電話越しの母も声を震わせながら、ただひたすらに「よかったね、本当によかった」と母自身にも言い聞かせているかのように繰り返していた。


今は多様性を認める時代だといいつつ、本音を言うと政治的建前である場合が多いと思っている。まだまだ生きづらい世の中だ。それを今回の結果をもってして証明してくれたJAXAに感謝している。

私と同じ特性を持つ方でも、宇宙飛行士を目指すことができる。だから夢を持ち続けてほしい。私がそのロールモデルになってみせる。



一方で。

最初に挙げた通り、書類選抜では数字しか見られない。だからクリティカルな不安因子を抱えていない人に関しては、だいたい通過するものだと予想していた。4,127名の受験者中、応募資格を満たしていない記念受験のような方々も含めて、落ちるのは500人か多くてせいぜい1,000人弱だと考えていた。

ところが実際には、2,266名しか通過していなかった。倍率は1.8倍。
2021年度 宇宙飛行士候補者の書類選抜結果について


これまで一緒に勉強をしてきた同志が落選していく光景を目の当たりにした。
なにより特に仲良くしていた方(敬意を持ってパイセンと呼んでいた)が「自分はダメでした」とメッセージをくださったとき、なんと声をかけていいか全くわからなかった。頭が真っ白になった。
自分が通過した喜びと同志が減った喪失感。とてもとても複雑な心境だった。仕事中だったパイセンの分までめちゃくちゃ泣いた。


しばらくTwitterで何を発信していいかわからず、悩み続けていた。
翌日4/23に私はZoomでお疲れ様会を企画していた。企画した時点では、自分はきっと応援する側に回ることになるだろうから、せめて同志に精一杯想いを託し送り出したいという思いがあった。
しかし現実には逆だった。参加表明をしてくださっていた多くの方が落選していた。

開催するか迷っていたが、パイセンの言葉に救われた。
通過した人は、落選した人たちのことなど気にせず前を向いてほしい


我に帰る気持ちだった。
挑戦し続けることを許されたからには、負けてたまるかと奮起した。
まだ戦いは始まったばかりだ。クヨクヨしていた自分に気合いが入った。


そして予定通りお疲れ様会を実施した。
光栄なことに落選した方々もたくさん参加してくださった。「この会のおかげでやるせない気持ちを浄化することができた」というメッセージをいただき、主催者冥利に尽きると感じた。
熱意が爆発し結局朝まで7時間ほどしゃべり倒した。大の大人が本気で挑戦した熱い青春だった。


私がやるべきこと

まずは目の前の英語試験に向けて全力を尽くす。
みんなのぶんも、同じ生きづらさを持つ方のぶんも、全部原動力に変えてみせる。

でも1番は、自分を大切にし、自分のために頑張る。
私はまだ舞える。


忘れないけど振り返らない。
自分のやるべきことをやる。
パイセンはじめ多くの同志から教わったことを継続するのみ。

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