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多様性の街 "SHIBUYA"

「渋谷がHome」

熊本出身の私。学生時代はお小遣いを貯めて福岡まで足を伸ばすのが精一杯で、博多や天神に行くたびに「都会はすごいなあ」と口をポカンと開けて高層ビルを眺めていた。


初めて渋谷を訪れたのは、高校1年生の修学旅行。
「東京の高校生は黒タイツを履かないらしい」という情報を聞きつけ、九州よりずいぶん寒い東京の街を、鳥肌を立てながら気合いの入ったミニスカートとルーズソックスで歩いていた。



その後東京を訪れる機会はなく、大学入学とともに上京した。しかし勉学が忙しく観光はほぼしていなかった。ときどきディズニーランドに行くくらい。ほんのそれだけ。しかもディズニーランドは千葉だし。



新卒入社した会社は渋谷にあった。方向音痴の私は渋谷駅からまっすぐ歩けば着くはずの道に迷い、タクシーに乗った。面接には遅れてしまい笑われた。

そして渋谷で働くようになった。ドラマに出てくるような一面ガラス張りの高層ビルで、夢でも見ているんじゃないかと思っていた。
東京へ遊びに来た両親は、会社の前で記念撮影をしたほど。それくらい、地方出身者、少なくとも私にとって"TOKYO"や"SHIBUYA"という街はテレビの中の世界で、決して身近なものではなかった。


渋谷で4年ほど過ごした。天気予報にたびたび映るスクランブル交差点やハチ公前、センター街はイメージ通り人、人、人。最初の頃は人酔いする勢いだった。
しかし住めば都。ゴミゴミしているのは先に挙げたような渋谷のごく一部だけであり、それ以外は公園があったりおしゃれなギャラリーがあったり、都会の喧騒とはかけ離れた生活を送ることができる。
外食をするとたしかに高いのだけれど、それでも安いチェーン店や業務スーパーなんかもたくさんあって、特にお金に困ることはなかった。家賃は高かったけれど、払う価値があると思えるくらい住み良い街だった。



結婚して、家を買うことに決めた。23区外に一軒家を、なんてことも検討はしたが、結局渋谷にマンションを買った。住みやすさが手放せなかった。文字通り「渋谷がHome」になった。



他人に興味のない街

私が渋谷を気に入っている1番の理由は、道ゆく誰もが横切る他人に興味がないところ。
文字だと冷たい感触がするけれど、私にとっては誰かとすれ違うたびに近況報告をする地元より、うんと羽を伸ばすことができた。もちろん、地元に帰れば土産話に花は咲くのだけれど、それを毎日するとなると、どんなに親しい仲でも気疲れしてしまう。



渋谷には色んな人がいる。性別も年齢も関係ない。誰もが自分の人生を謳歌している。ときどき他人に迷惑をかけてしまう人もいるけれど、ニュースで取り上げられるから目につくだけで、実際にはそんなことはほとんどない。



私は心理的特性だけでなく、外見も個性的だと言われて育ってきた。高校生のとき突然現れたきゃりーぱみゅぱみゅに魅了された。彼女を真似て、奇抜な服をよく着ていた。地元でそんなことをすると、すぐに話が広まる。親から「そんな恥ずかしい格好で歩かないでほしい」と言われたこともある。自分の好きなものを好きだと表現できないのは、とても悲しかった。


渋谷ではそれが許された。許されたと言うより、「判断する人」が存在しない。すっぴんだろうと、寝巻きだろうと、どんな髪の色をしていようと、老若男女問わずみんなが好きな自分を生きている。この風がなんとも心地いい。


私はそもそも上京願望があったわけではなく、大学入試でたまたま滑り止まった大学が東京にあった、そんな理由で上京した。

最初は勝手がわからず困惑していた。
しかし住んでいくうちに、東京に勝手など存在しないことがわかった。好きに生きたらいい、法はそれだけ。



だから今生きづらさを感じている方々は、東京、とくに渋谷に足を運んでみたらいいと思う。
誰もあなたのことなんて見ていない。
お前の顔を気にしているのは、お前だけなのだ。



私の自宅である渋谷のマンションは、高齢者がとても多い。終の住処としてあえて選んだのかもしれない。
それくらい、住み良い街なのだ。
「自分を探す旅」なんて言葉があるけれど、渋谷に来ればわかる。自分はいつだってとらわれることなく、自分の心の中にいるものだと。


「渋谷がHome」
人生でこんな言葉を口にする日が来るとは思っていなかった。しかしもう、ここは完全にHomeだ。

私だけでなく、生きづらさを感じるあなたにとっても。

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