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第1講 教育と学習 《資料読解》

《資料読解》
資料を読んだうえで、「社会教育」と「生涯学習」の違いについて説明してください。

(資料)鈴木眞理 第5章「生涯学習と社会教育」『学ばないこと・学ぶことーとまれ・生涯学習の・ススメ』p83-104


①学習と教育の違い 

 あなたがこれまで経験してきた「よい学び」とはどのようなものでしょうか。親や先輩から教えてもらった人生の体験談のようなもの、失敗などを通じて自分が気づくこと、バイトの経験や留学などの実体験と答える人もあるかもしれません。これらのなかには「偶発的学習」と呼ばれるものがあります。最初から意図して何かを学ぼうとした結果のことではなく、たまたま学習してしまったという類のものです。
 人が何かを学ぶとき、体験はもちろん大事なのですが、きちんと意味づけをしてあげないと、単に体験して終わりという活動になってしまう可能性があります。例えば、目の見えない子どもに「車」の形を理解してもらうのに、直接自動車を触らせる体験が有効なのでしょうか。実物を触る前に小さい模型を触る、それから実物というように段階を追わないと理解できないこともあります。単に体験しただけでは「学び」が発生するかどうかはわかりません。
 また、私たちが記憶している「よい学び」は、たまたま「よい学び」になったからこそ記憶されているのであって、これまでの人生のなかでは「学び」にならなかったこともたくさんあったでしょう。特に偶発的学習は「偶発的」といっているだけあって、活動や経験といったものが「学び」に結実するかどうかで言えば、非常に不安定、非効率的な学びだと言えるでしょう。
 では、教育とはどのように違うのでしょうか。テキストP88をみてください。

教育という概念は、学習という概念とは異なります。学習は、学ぶ者の存在によって成り立つ概念ですが、教育は基本的には教える者と教わる(学ぶ)者の存在が前提になります。

鈴木眞理「生涯学習と社会教育」『学ばないこと・学ぶことーとまれ・生涯学習の・ススメ』p88

 つまり、学習とは違い、教育はついうっかり教育されてしまったということはなく、教える人が何らかの意図をもって教えているということになります。鈴木眞理さんは、この意図のことを教える者がもつ「望ましい価値」といっています。

②「望ましい価値」とは

 教える側の「望ましい価値」とは、何をもって「望ましい」とするのでしょうか。これは国によっても、文化によっても、人によっても異なります。テキストP89をご覧ください。

さらに、教育には、教える者がもつ「望ましい価値」がともなっているということを注意しておきましょう。しかし、教育は教わる(学ぶ)側が成長・発達する可能性を前提にするものであるので、教わる(学ぶ)側の自発性・自主性・主体性ということがまったく認められない場合は、そもそも教育という関係が成立していないということにもなります。

鈴木眞理「生涯学習と社会教育」『学ばないこと・学ぶことーとまれ・生涯学習の・ススメ』p89

 この生涯学習概論でも、教える側である私は「生涯学習とはかくあるべし」と、何らかの考えをもっています。だからといって、それを教わる(学ぶ)側にただ伝えることにはあまり意味がないと思っています。教わる(学ぶ)側であるみなさんが「本当にこの先生の言っていることあってるの?」「・・・と言っていたけど、違うかも知れないから調べてみよう」「他の先生に聞くのがいいかしら、それとも本で調べてみようか」などと自発的に、自主的に、主体的に動き、考えることでようやく「教育」になるわけです。
 ちなみに、鈴木眞理さんは「よい(望ましい価値の)」方向へ導くこととは、「社会的な存在」にすることと「個性的な存在」にすることの二点がバランスよくある必要があるといっています。例えば、学芸員資格を取ったみなさんが博物館に勤めた時、博物館法という法律の存在は知っておく必要があるでしょう。それから学芸員がどのような仕事をしているのかについてもある程度は知識が必要です。しかし、このように「社会的な存在」にすることだけを目的にしてしまうと、ともすれば画一的で、同じことしかできない人を育てかねません。
 だからこそ、「個性的な存在」にしていくことも同様に必要なのです。個性的というと、ちょっと変わっているとか、目立っているとかマイナスイメージで受け取られるかも知れませんが、ここでは意味合いが異なります。文章を構成するのが得意、言葉で発表するのが上手、表現はできないけどよく考えている、人の気持ちを汲んで議論を展開できるなど、人の能力は実にさまざまです。こうしたことは実はマンツーマンで教えていてもなかなか気づきにくいものです。複数人で同じことをすることで、相対的に見えてくることもあるのです。このようなその人ならではの「よさ」を見つけて、引き出してあげることも教育のなかには含まれているのです。

③「生涯学習」と「社会教育」  

 教育には「よい(望ましい価値の)」方向へ導くという目標があることがわかりました。その目標を果たすために「教育」とは原理的、理論的、体系的に整理されていないといけません。例えば、体験してから考えた方がいいのか、考えてから話す時間をとった方がいいのか、足し算のあとに掛け算がいいのかなど、効率的に伝わるように計算されていると言えます。
 また、教育は、効率的なばかりではなく、組織的なものだとも言えます。たまたま喫茶店であった人に効率的に何かを教育できるというのは、まったく考えられないことではないですが、考えにくいでしょう。同じくらいの年齢の人、同じ目的意識をもった集団だからこそ、一緒に学んでいくことが有効な場合があるのです。
 こうした特徴があるからこそ、社会教育とは下記の通りまとめることができます。

社会教育は社会で行なわれている意図的な営みなのであって、偶発的学習とは決定的に異なります。ここでの社会とは抽象的なこと、社会一般と考えるのではなく、実際には具体的な担い手・機関が行っているということになります。

鈴木眞理「生涯学習と社会教育」『学ばないこと・学ぶことーとまれ・生涯学習の・ススメ』p89

それに対して、生涯学習とは下記のようになります。

一方、生涯学習というのは、広義に用いれば、人生のさまざまな時期に人びとが学ぶことの総体を示すことになりますが、ふつうは、学習のうちでも強制的に学ばされることを除き、偶発的学習を含みながらも、自発的に学ぶことを指し示しているということになるでしょう

鈴木眞理「生涯学習と社会教育」『学ばないこと・学ぶことーとまれ・生涯学習の・ススメ』p89

「つまり、生涯学習の支援の一環として教育・社会教育は存在しているということなのです」

鈴木眞理「生涯学習と社会教育」『学ばないこと・学ぶことーとまれ・生涯学習の・ススメ』p90

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