學藝員をさがせ!―棚橋源太郎「博物館學藝員の重要性」

學藝員、學藝官、學藝委員などなかなか名称が定まらなかった日本のCurator。

棚橋源太郎さん、曰く。

博物館職員の主腦部の成すところの斬うした専門館員は、獨逸ではWissenschaftliche Beamte(ママ) 英米ではCurator(學藝官又は學藝員)と呼んで居る。小規模の博物館では館長がこの學藝官(又は學藝員)を兼ねて居る所も少なくない。我が國で學藝官の名稱がはじめて使用されたのは大正十年頃御茶水時代の東京教育博物館が昇格して、文部大臣直轄各部の一となり、自然科學に關する博物館としての東京博物館官制が制定實施された際であって、その職制の所の學藝官は獨逸語のWissenschaftliche bearuteを直譯使用したものでる。而してこの學藝官に對し學藝員の名稱が今日使用されるに到つたのには相當の理由がある。卽ち我國の圖書館に於ては、Librarianの譯名を官立では司書官公私立圖書館では司書と稱して居り、又School Inspectorの譯名視學員といふ名稱が用いられて居るので、是等の先例に倣つて博物館の場合に於ても、公私立博物館では學藝官に對し、學藝員の名稱を使用することが妥當であらうと考えられたのである。
棚橋源太郎「博物館學藝員の重要性」『博物館研究』第15巻第12号 昭和17年

確かに、明治32年の段階で、學藝員という言葉は出てきているのだけど、何行かあとを見ると、「學藝委員」の誤記かなぁ・・・
「帝国博物館官制中理事評議員学芸員ノ人員ヲ改ム」
https://www.digital.archives.go.jp/img/1691550

棚橋さんがいっているのはおそらく、こちらよなぁ、大正12年
「東京博物館官制中ヲ改正ス」
https://www.digital.archives.go.jp/img/1687485

で、學藝委員になるともう少し古くて、明治23年
これ、岡倉天心さんですねぇ。
「宮内省博物館学芸委員ヲ命ス」
https://www.digital.archives.go.jp/img/1662065



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