學藝員がみつからない―青空文庫から

引き続き、學藝員を探しておりまして。
海外事例の紹介で「學藝員(キュレーター)」というのは散見されるのですが、日本の「學藝員」はなかなか見つからないという話。

で、考えたのが「青空文庫」。
著作権が切れているのだから、ある程度年代が絞られる。
「學藝員」でググる(いや、青る)。

いたーーー!
https://www.aozora.gr.jp/cards/000270/files/46641_25180.html

学芸員と一般会員の多数で二十一年上野の美術協会陳列館で第一回彫刻競技会を開き一般の観覧を許しました

もうひとつー!

この競技会の審査員は学芸員の人々また、実技家の主立おもだった人々で、私もその一人でありました。(略)幹部の山高信離、松尾儀助、岸光景、山本五郎、塩田真、大森惟中諸氏の手に掛かることになりました。
(略)これはやめにしておもらいしたいと、その夜、岸、塩田氏その他の幹部学芸員のお集まりの処で(略)

でも、山高信離、塩田眞、大森惟中などの名前を調べると、どうも文部省などの所属になっている。官ならば、学芸委員の間違いかなぁ?


そしてもう一つ思いあたったのが、こちらで紹介している斎藤報恩會博物館。
https://rekitomo2000.seesaa.net/article/483387171.html

斎藤報恩會博物館の学芸員さんたちが文献初出ならばと思い、斎藤報恩會の初代学芸員さんたちを調べてみるも、この博物館は1933年設立。
なお、初代学芸員リストは、こちらの120ページあたりにあります。
https://tohoku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=110310&item_no=1&page_id=33&block_id=38

斎藤報恩會の刊行物は、一部国立国会図書館でみることができ、その奥付などに役職+人名で当時のスタッフがのっているのですよ!
(こういうの、図録でも大事だね!)


でも、まだ見つからない學藝員・・・・。
ええ、まだ続きます、このシリーズ。



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