ユニバーサルか、バリアフリーか―アマルティア・セン「不平等の再検討‐潜在能力と自由‐」

いまの「生きづらさ」に関連して、「自己肯定感」という言葉が近年多く目にするようになってきた。

この「自己肯定感」は「孤立」と非常に近しい関係にあるように思う。

存在しないかのように扱われたり、自分という存在の価値が見いだせない状態では「自己肯定感」は育みようがない。

自己肯定感をどのように高めていくのか、ということを考える時に二つのアプローチが存在すると思う。

一つは、ユニバーサルに高める方法。(これはみんなのことを考えた)
もう一つは、バリアフリーに高める方法。(これはこういう人のことを考えた)

どちらのアプローチも有効だと思うのですが、アマルティア・センのこの言葉は考えておいていいと思います。

「人類の平等」という強力なレトリックは、このような多様性から注意をそらしてしまう傾向がある。このようなレトリック(例えば、「人は生まれながらにして平等である」)は、平等主義の重要な要素と見なされているが、個人間の差異を無視することは実に非常に反平等主義的であり、すべての人に対して平等に配慮しようとすれば不利な立場の人を優遇するという「不平等な扱い」が必要になるかもしれないという事実を覆い隠すことになっている。

アマルティア・セン「不平等の再検討‐潜在能力と自由‐」p2

つまり、みんなのことを考えた結果、それに自分が適合しなかったら、排除に近しい気分を味わう。つまり、みんなのことを考えて、何かができるほど「多様性」は単純ではないかもしれない、ということ。

そして、個人間の差異を認めてもらうことが「自己肯定感」を育むときには有効かも知れない。

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