~できる力(ケイパビリティ)―「訳者まえがき」『不平等の再検討―潜在能力と自由―』

何をもって「自由」なのか、「豊か」なのか。例えば、14万の飼育員が16万になったら「豊か」なのだろうか、給与をそこそこもらっている人が定時退社を命じられたら「自由」になるのだろうか。

ここを考えたのが、アマルティア・センさん。

潜在能力ということに着目した。

「潜在能力」は「機能」の集合として表される。「機能」とは、人の福祉(暮らしぶりの良さ)を表す様々な状態(○○であること)や行動(○○できること)を指す。例えば、「適切な栄養をとっている」「健康である」「教育を受けている 」などである。センが機能に着目するのは、人の福祉を直接表すからである。これに対し、所得や効用や資源などは人の福祉の手段や結果を表すもの(中略)
「潜在能力」は、ある人が選択することのできる「機能」の集合である。すなわち、社会の枠組みの中で、その人が持っている所得や資産で何ができるかという可能性を表すものである。ここで注意すべきは、なにができるかは社会のあり方からも影響を受けているということである。

「訳者まえがき」アマルティア・セン『不平等の再検討―潜在能力と自由―』

その人が置かれた状況によって「・・・できる可能性」の幅は変化する。例えば、月収20万で、すべての人が幸せかというと、人によって異なる。不動産を有しているか、扶養している親族があるか、移動に困難を抱えているか、人は多様であり、人によって幸せのあり方も異なる。

だから、センは「・・・できる力」に注目した。移動に困難があるが、移動するためのお金と手段はあるならば、「移動できる力」がある、というように。これを移動困難という状態だけでは評価しない。

このことで貧しい人だけでなく、豊かな人にも共通する議論になった。(←ここが、センのすごいとこだと思う)

では、非正規という状態に注目するのではなく、非正規であれ正規であれ、「学芸員としての能力が発揮できる」のためには、どんなことが必要だろうか。

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