苦手意識をアクティブにするには?
最近思い出したのだけど、むかし体育の先生が苦手で苦手で。
小学校の頃の体育は楽しかってん。
ハードル走ではやく走るにはどうしたらいいでしょうか?
予想を立てさせて、考えさせ、実験し、みんなで答えを導き出すみたいな授業ね。はやく走ることだけが正解じゃないから、楽しい。
中・高にあがるにつれて、本当に嫌で嫌で。
特に違和感をもっていたのは、「体育」ができる健全な肉体というものをむやみに信仰している感じが苦手だったと思う。何かができることが正解、できないとダメみたいな感じ。
でも、先生に苦手意識があっただけで、運動自体は嫌いではなかった。
で、ずーーーーーーーーーーっと、その苦手意識は意識の奥底に沈んでいて忘れていた。のだけど、オリンピックや競技スポーツを見たいと思わなかったのは、なんとなーく「身体の万能さ」みたいなゴリゴリしたイメージを勝手に抱いていたからかも知れない。
いや、もちろん鍛え上げられた身体も、そのための努力もすごいと思うんだよ。それに技が美しいとか、単純に面白いゲームだった、と思うことだってある。
だけど、苦手意識が根底に沈んでいると、主体的にはなれないものだな、と思った。仕事はやらなきゃならないことだから話はべつ。そうではなくて、博物館とか映画とか本を読むとかそういった時に、わざわざ苦手意識があるものを主体的に選択しないよな、と。
だから、博物館って好きな人が来てるんでしょ、っていわれるとそうかもって思う。
だから、そういうスイッチが入りかけの人が多い状態だから「主体」が先でも問題ないのかも。
だけど、学校は教科に苦手意識をもっている子もいる状態。だから「主体」を先にするには、相当「腕」が必要。
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