判例のなかの社会教育主事 ー青少年の家に社会教育主事は必要?

アイデアとして行政訴訟はどうであろうかと考えた。

つまり、博物館法の目的は、博物館の健全な発達を図ることである。

では、それはきちんと機能しているのかを確認するのはどうであろうか、と。

法のもとの平等というならば、博物館がたくさんある地域の人と博物館が遠い地域の人では、その利用に格差があるのではないか。

あるいは、学芸員が雇用されている、されていないというのは利用者にとっての格差を生むことになっていないだろうか。

社会教育も学校教育と同じように、人々の学習権を保障するべきではないか。

というのを、法に照らして説明していけるといいのではないか、と思ったのである。

司法の方は現実をこのように解釈したのだ、という風に説明することができるからである。

そこで、とりあえず判例検索をかけてみると「博物館法」というキーワードでヒットするのは4件。そのうち1件は国立博物館法、もう1件は風営法なので考慮しない。

1件は展示動物に関して、もう1件は社会教育主事の専門性をめぐる訴訟になる。

この社会教育主事についての解釈を読んでいると、博物館類似施設にも同じような判決を下すのではないかと想像する。

ざっくり説明すると、学校の教員が社会教育施設に異動になり、社会教育主事の資格がないのに異動は解せないとのことで(他にも理由はあるが)起きた訴訟。

博物館も教員籍の人いるところ、あるではないですか。誰かが訴訟をおこした時に「博物館類似施設であり、職務の専門性が未だ発展途上であり、学芸員ではなくてもよい」という判決はでてもおかしくないかなぁと。

1 社会教育法等の法律との適合性
 前記のとおり、社会教育法は専門職としての社会教育主事についてその資格を法定しており、各種の社会教育施設の内、公民館、図書館、博物館については、社会教育法、図書館法、博物館法において、館長・主事・司書・司書補・学芸員・学芸員補についてはその資格が規定されている。これに対し、青少年の家のような青少年教育施設の職員とその職務及び資格については、法律上別段の規定がない。
 そこで、各職員の資格を法定する前記の社会教育法等の趣旨から、本件社会教育主事にも、資格を必要とするとの解釈を採るべきか否かについて判断すると、たしかに、本件社会教育主事には、その施設が青少年・成人の社会教育活動に関し教育的指導性を発揮しうるための専門性が備わっていなければならず、その専門性は、社会教育活動の技能面のみならず、企画・方法・評価等の面についても相当高度のものが必要となることが窺われる。しかし、昭和四六年四月三〇日社会教育審議会答申「急激な社会構造の変化に対応する社会教育のあり方について」においては、現在青少年の家に置かれる指導職員の専門性は必ずしも明らかではなく、今後この職員について社会教育主事の資格を有する者をもって充てる事が必要がある旨指摘するにとどまっており(乙六)、その後、青少年の家の指導者に要請される専門性の具体的内容やその程度が明確になったとの事実は認められない。前記のように、
青少年教育施設の職員とその職務及び資格について法律上別段の規定が置かれていないのはこのような理由によるものと解される。
 そうすると、青少年の家の指導者が社会教育主事の資格を有することが望ましいことはいうまでもないが、前記の各現行法の制定内容や青少年の家の指導者の職務の専門性が未だ発展途上にあるにとどまっている状況に照らすと、現行法の解釈として、青年の家の指導者には、専門職としての社会教育主事を置かねばならないとまでいうことはできないと解するのが相当である。


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