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ブログ再開

久しぶりのブログ。
今日から定期的に書いてみようと再開してみることにしました。

今日はね、父の命日なんです。
そんな日の朝、ソウルファミリー的友人ふたりとLINEで会話をしていて

私が長々と書く文章はFBやInstagramよりはブログ向きなのでは?

とのサジェッションを受けまして、私の心にあることの言語化はしばらくブログでやってみようと思ったのです。

そう、そして、前述のとおり
今日10月5日は父は命日。

出張先の韓国で倒れて他界して22 年。
生きていたら77才。

あと11年経つと、私は父が
旅立った年になります。

突然いなくなってしまった時には
父の会社に対して思うことがあったり
長い長い出張に行っているだけで
またふらっと帰ってくるのでは
とか現実味がなかったり

家族でこの現実を乗り越えるのにも
少し時間がかかったりしたけれど

年月が経ってみれば
あれは父が選んだタイミングだったと
その時もわかってはいたけれど
すんなり受け入れられている今。

他界したからこそ
他界したことで
私たちにくれたギフトがたくさんある
としみじみ思うし
そのことに感謝できる。

そりゃ
生きていてくれれば
また違う喜びや共にいるもろもろが
あったと思うけれど。

これが今回の私たちの人生だな、と。

私は父が他界したことで
目に見えない存在との対話を
そこからはじめた。

もう物体としてはいない「父」
という存在との対話。
その「父」を通しての
大いなる存在や
自己との対話。

それにより私のなかにある
何かは確実に
深まったように感じる。

この三次元での肉体が
なくなり

体温を感じられなくなることは
とても悲しいことだけれど

でも、
命はそれだけではないと
強烈に私に伝えてくれた
レッスンは紛れもなく父とその死。

もう父の肉体がこの世から
なくなって20年以上たつけれど
とても近くにいる存在。

何かのときの一番の対話の相手。

若松英輔さんもよく書いておられるけれど
亡くなった方って
そのことで
とても近くなることがある。

ちょうど急に秋めいてきた数日。
父をいつもより思い出す夜。

「死」って本当に身近なもので
「生きる」ことだなって思う。

そして
どんなことがあれど
この3次元にいて
生きているたくさんの命にも
感謝する夜。

自分が生かされていることにも感謝。

そう、こうして
こういうことを心に思い
言葉にしたくなるのも

父やSomething great、
自己との対話があるからかなこそだな。

ということでブログ再開を
今日にしてみました。

思うことやカリグラフィーのことも
書いていけたらと思っています。

何かにひっかかることがありましたら
読んでいただけたら
また反応もいただけたらありがたいです。

Love,
Miho

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