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平和

私は体質的(生まれつきの卵子と甲状腺の問題)に子どもができにくく
過去に結婚したことがありますが、子どもはできませんでした。

そして、今、40半ばですが、自分の血の繋がった子どもを自分の身体を通して産む、ということにほぼこだわりがなくなってきています。

もちろん、子どもは嫌いではないですから、20代から30代はそれなりに悩みましたが。
今回は不妊のことを書きたいわけではないので、前置きとしてはこれくらいにして。

半年前ほどに、ある祈りを生業もされている方から
「自分に子どもが与えられていないことをあなたはどう捉えてるの?
ただ、自分には他の人には与えられている子どもが与えられずに悲しい、残念、と思ってる?」
と問われたことがあります。

私はこの問いに「自分の子ども」というものにこだわるのをやめた経過で思ってきたことを伝えました。

「自分の子どもを持って育むということがないことは、そのための時間やエネルギーを他に使いなさい、ということだと思って生きています。
自分の子どもや家庭などではなく、もっと広く別の場所にエネルギーを注いで、そこのためにできることをすることだと思っています。」

これが私のその時の答えで、今もそのように思って生きています。

このことに、この問いをされた方は
「上等。上等。
あなたにとっては、世界にあるすべてがあなたの子どもなんだよ。そこに対して、癒しや育みをもたらせるんだよ。神さまはわかってるから。」
と言われました。

この言葉をそのまま信奉して、子どもは完全にあきらめる、とか、私にはそういう使命があるんです!とかそういう話ではなく、

私はこの言葉をもらってから、自分にご縁のある方もない方も、老若男女問わず
「目の前の人が私の子どもだったら」という視点と視座をはっきりと持つようになりました。

そうすると、自ずと世界の見え方は変わってくるんですね。

視点を変えて、視座をあげたから当たり前のことなのですが。

もちろん、いつもいつも、心穏やかに視座を高く持っていられるわけでもないのですが、
人間ですから。笑

でも、その視点・視座に移動すると愛と優しさの世界にいけます。

世界ではさまざまな心痛むことが起きたりするけれど、私はそれでも人々は手をとって平和を目指せるはずだと信じて、世界を眺めていたいし、眺めているのです。

この世界にあるものが自分の愛する者たちで構成されているのであれば、世界は愛だし、最終的には愛で結ばれた平和をもたらせると、そういう世界で生きると決めて今日も在る。

十分に自分が恵まれていることも心に置きながら。

私ひとりは小さなひとつの命だけれど、それぞれの心が平和をもてば平和は訪れますね。

きれいごとでなく、そこをみています。
ひとりひとりの心の内なる平和と世界の平和を願って。

Love,
Miho

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