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自称和製シャーロック・ホームズ、千葉の怪獣伝説とレア神社の謎に挑む!

なにやら超強気なタイトルですが、現在↓のシリーズを読んでいます。

「シャーロック・ホームズとシャドウェルの影」
「シャーロック・ホームズとミスカトニックの怪」
「シャーロック・ホームズとサセックスの海魔」
ジェイムズ・ラブグローブ著 ハヤカワ文庫FT

ホームズ・パスティーシュの一種、ホームズとクトゥルフ神話の世界を融合させたじつに意欲的な作品です。ホームズがその明晰に頭脳と、ときどき魔術アイテム(!)を用いつつクトゥフの邪神と対決する!

これを読んでいるとホームズシリーズに夢中になった中学生時代、ラブクラフトの世界に入れ込んだ高校時代を、さらにロンドンに住んでみたくて仕方がなかった多感な頃を思い出します。

そんなわけでちょっとホームズになってみようかな、と。舞台は千葉県。

表紙と↑の画像は千葉県八千代市の郷土博物館で撮影してきました「印旛沼モンスター」の推定復元模型。

天保14年(1843年)、現在の千葉県八千代市と千葉市花見川区横戸町の境界くらいの場所で恐ろし~い怪獣が出現、多数の死者を出すなど大きな被害をもたらす大事件が発生!

しかもその事件が3種類の文献に記録されて現在まで残されているそうな。↓の画像

↓の画像はそのうちのひとつ、安政4年(1857年)の「天神七代地神五代大日本史年代治乱記付 年代記」です。

この3つの文献に記されている内容には若干の違いも見られますが、大筋は一致しています。死者12~13人、さらになんとか逃げ延びた生存者3人も大病を患ったというのですからタダ事ではありません。

この怪物の正体やいかに?

…というわけで、関東に入った徳川家康は真っ平らな平野が広がっているうえに低地が多く河川氾濫のリスクを抱えていたこの地域に大規模な治水事業を展開、とくに茨城県南部から千葉県北部は利根川の流れを大改変するなど「水」を巡る環境が大きく変化、その干拓地に人が住み着き、開墾が行われることで関東の経済力が大幅にアップしていくことに…

…と後世から見るとこんな感じになるわけですが、実際には治水事業はとても大変だったらしく、その多くは長い時間と、多額の費用と、多くの犠牲者が強いられることになりました。

この印旛沼も例外ではなく、江戸時代中期ころから本格的な干拓工事が開始され、最終的に完成に至ったのがじつに1960年代!いかに大変だったかがうかがえます。

こうした歴史的背景のためか茨城南部~千葉県北部にはカッパを筆頭に水絡みの妖怪が多く見られます。利根川には「関東のカッパの親分」とも言われる「禰々子(ねねこ)」なんてもいました(今もいるかも)

こうした妖怪伝承は工事によって多くの犠牲者が出た当時の状況を「妖怪」の形で後世に伝えられた、とも見ることができるのですが…

さて、この印旛沼のモンスターはどうでしょうか?あまりにも記録が詳細すぎるのと、一度の事件にしては死者の数が多すぎるのとでどうも怪しい臭いがします。

これはあくまでわたくしの個人的な想像ですが、工事を巡って何か事故が発生、しかもその詳細がお上にバレたら責任を問われかねないような不祥事めいた状況で発生した事故だったため、死者が出たのを「化け物のせいでひどいことになりました」とごまかそうとしたのではないか?という疑惑を持ちたくなります。

もともと妖怪がらみの怪異現象にはこうした面がしばしば見られたようです。例えばよそから村に嫁いできた女性が婚家でうまくいかずに失踪してしまった場合に「神隠し」として扱う。もしその女性が戻ってきた場合でも失踪した理由や失踪していた間何をしていたのかを問わずに改めて受け入れる。また戻ってこなかった場合でも「神隠し」の形にして婚家に悪評が立ったり、実家の村とトラブルになるのを避ける。

またこれはある本で読んだ現代のマタギの話ですが、よくマタギが語る話で山でキツネに騙されて道に迷ってしまったような筋書きが見られるのは実際に遭難してしまったときに「キツネに化かされた」と言えば事態をまるく収めることができるから、だそうです。

捜索に出たマタギ仲間や地元の人たちが大変な思いをした場合でも「キツネに化かされた」と言えば「そういうこと」にしてそれ以上詮索もされなければ責められもしない、といった暗黙のルールみたいなものがあるんだとか。

妖怪や怪異現象が良くも悪くも「事をまるく収める」方便として利用されている。なかなかおもしろいと思いませんか?

現代人の視点からみるとどうしても「昔の人は無知蒙昧で迷信深いから妖怪や幽霊を信じていた」といった考え方になりがちですが、実際には無知蒙昧どころから怪異現象を非常に賢く活用していた面もあった(ある?)ようです。

これは妖怪を文化として扱う価値があるひとつの理由にもなるんじゃないでしょうか。

そうなるとこの印旛沼のモンスターもあまりよくない意味で「事をまるく収める」ためにこしらえられた話ではないか?という気もしてきます。

このモンスターが出現した具体的な場所に関してははっきりしていない面もあるのですが、↓の花見川周辺くらいでは?と考えられているそうです。今でも出現しそう…かな?

ところで現在の印旛沼は2つに分かれた状態になっています。ということは英語で表現すると複数形で「Inbanumas(インバヌマス)」になるのでしょうか。

となるとかのネッシー伝説で知られるスコットランドの「Inverness(インヴァネス)」に似ていないか?

さらにH.P.ラブクラフトの代表作のひとつ、「インスマスの影」の舞台、「Innsmouth(インスマス)」をも連想しないだろうか?

"Inverness" + "Innsmouth" = "Inbanumas"

これは単なる偶然か?あるいは…

われわれは秘められた未知の世界を垣間見ているのか?

それとも、これはクトゥルフ神話の「旧支配者(Great Old Ones)」の存在を示唆しているのか?

…とクトゥルフ絡みの話はこれくらいにして(笑)

この千葉県八千代市にはほかにもとてもおもしろい神社があります。「時平神社」と名前のつく神社が4つ、それぞれ地名をを冠しており、まず↓が「小板橋時平神社」


それから↓が「大和田時平神社」


↓は、「萱田(かやた)時平神社」

そして↓が「萱田下時平神社」

なお、小板橋時平神社は昭和年間に大和田時平神社から分社されたものです。その大和田時平神社と萱田時平神社は江戸初期の創建とされています。

いずれも小さな神社ですが、地元の方たちから大事にされているのがわかるとてもよい雰囲気の場所でした。

祭神は社名から推測できますが藤原時平。菅原道真の天敵、讒言で彼を追い落とすことに成功したものの(901年昌泰の変)、死後怨霊と化した菅原道真の祟りにあって(?)37歳の若さで死去。

まさに天神信仰の生みの親のような人物ですが、その影響もあってどうしても評判が悪く、日本の歴史上における代表的な悪役の一人になってしまっているわけですが…

「北野天神縁起絵巻」で雷神と化した道真に向かって刀を抜く勇壮なイメージ(左端)もなんだか焼け石に水って感じ。

この地域ではそんな彼が神として信仰を集めていることになります。

そして「やっぱり?」って感じでこの周辺には天神社があまり見当たらない。

なぜか?

時平は同じ千葉県の習志野市津田沼にある菊田神社と船橋市にある二宮神社でも配神として祀られており、どうやらこのあたりが彼の信仰のルーツのようです。菊田神社にはその由来も記されています。↓

治承4年(1180年)となると平家政権が同様して風雲急を告げていた時期ですが、藤原師経・師長に2名とその一族郎党が政変に巻き込まれて配流にあい、下総の地を安住の地とし、先祖である藤原時平公を当地に祀ることにした…

船橋市では↓のような伝説も伝えられています。船橋市西図書館のサイト。

ですから習志野市津田沼&船橋市周辺から江戸時代に入って八千代市に相次いで時平神社が分社された…ということになるのでしょうか。

しかし藤原師経・師長はともに配流されていますが歴史上では前者が備後、後者は尾張が配流先となっています。それにも増してそもそも二人とも藤原時平の子孫じゃない!

どういうことなんでしょうか?

船橋市には「行田(ぎょうだ)」という地名があります。埼玉県の埼玉古墳群がある場所も「行田市」ですが、千葉の方の行田はもともと京都祇園社の荘園だったという説もあります(ただし他にも有力な説あり)。

「祇園の土地(田)→ぎおんでん→ぎょうでん→ぎょうだ」

船橋市・八千代市の北東、現在の印旛沼に近い印西市には聖武天皇の娘がこの地に流れてきたという「松虫姫」の伝説もありますし、同じく印西市には源頼政の伝説もあります。どうも千葉県北西部には中央政権との結びつきを推測させる伝承が多いようです。

そうなるとこの東京都とも近いこの地域にはかつて奈良・京都の有力な貴族や寺社の所領が点在していた可能性も考えられます。

津田沼、船橋、そして八千代あたりは中世後期にも藤原氏(のどこかの家)の荘園が細々と残っていたのかもしれません。残っていなかったとしてもかつて所領の形で京都と結びついていた記憶が現地の人たちの間で語り継がれていたのかもしれません。なぜ藤原時平と藤原師経・師長が結びついたのかはちょっとわかりませんが…

そして江戸時代に入って現八千代市に時平神社が建てられるようになったのは秀吉の刀狩りと太閤検地を経て江戸時代に入った段階で中世の荘園が完全に消滅、京都の藤原氏との関わりも失われたことを惜しんだ現地の人たちが同じく藤原氏と関わりがあった津田沼・船橋地域から時平神社を勧請してかつての歴史を偲ぶことにした…

…ここまで来ると妄想の域になってしまいますが(笑)

八千代市にはさらに藤原時平の娘を祭神とした「高津比咩神社」もあります。

藤原時平の一族が菅原道真のたたりによって没落してしまったので時平の妻と娘がこの地にまで逃れてきた、その地に建てられた神社、とのことです

いわゆる「貴種流離譚」ですか。

藤原時平は現在でもあまり人気がある、または評判がいい人物とは言えませんが(天神信仰あるかぎり彼の評価が高まることは永遠になさそうですね)、「大鏡」には彼を巡るちょっとおもしろい話が収録されているので紹介してみたいと思います↓

「藤原時平公は笑いだしたら止まらない、とんでもない笑い上戸でした。その一方、菅原道真とは政務を巡って対立することも多く、その際には時平が権勢に物を言わせて強引に自分の意見を通していました。

そのことを菅原道真が嘆いているととある太政官の書記官が言いました。「わたくしがちょいとひと工夫して時平公の無理難題を止めてみせましょう」。道真が不審も露に「そんなことができるのか」と言い返すとさらに不敵なひと言、「まあ黙って見ていてくださいな」。

ある日、時平も出席した政務の場で白熱した議論が行われているときのこと。この書記官は時平に書類を差し出す際にわざともったいぶった素振りを見せつつ豪快なおならを一発かましました。

それに時平は大笑い。笑い上戸のこの人はスイッチが入ってしまったらもうどうにも止まらない、さんざん笑い転げた挙げ句「もうダメだ、あとのことは任せる」といって職務を放棄してしまいました。

おかげで菅原道真は自分に思い通りに政務を進めることができましたとさ。

めでたしめでたし」

いかがでしょうか?捨て身のギャグを(文字通り)放った書記官にも拍手喝采せざるを得ませんが、時平に対してちょこっとだけ親近感を抱きたくなってきませんか?

というわけで、恐ろしいモンスターに謎多き神社。千葉県八千代市にはなかなかにミステリアスで面白い場所ではないかと思います。

ちなみに東京から当地に鉄道でアクセスする際にもっとも近道となる東葉高速鉄道は全国屈指の運賃が高い路線としても知られています。なのでわたくしは東京の自宅から片道2時間40分ほどかけて自転車で行きました。おかげでかつてこの平坦な地を馬で駆け巡っていた坂東武士の気分を味わうことができました。こちとら人力ですが。


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