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11年経って思うこと

週末の忙しさがひと段落しました。
3月11日、東日本大震災から11年が経ちました。

当時は歌舞伎座が建て替え中で、歌舞伎興行は新橋演舞場で行っていました。国立劇場の歌舞伎公演は中止。演舞場は確か数日後に再開しましたが、私は気持ちが向かず行かなかった記憶です。

ブライダル司会の仕事も全キャンセルになり、さてどうしようかと。

GWあたりから結婚披露宴を行う新郎新婦が復活しても、司会として、どう言葉を選んだらいいのか。。被災地から駆けつけるゲスト、親類が被害にあっている方など、出席者は様々です。同僚たちとも悩み続けながら前に進んだ思い出があります。

メンタルでは歌舞伎に助けられました。観ることで安心を得られたし、その年の9月には、四代目として猿之助を襲名するという発表があり、大変だった日常も忘れることができました。

私は11年前のことを思う時、一緒に2016年4月の熊本地震のことも思い出します。博多座でスーパー歌舞伎Ⅱワンピースの公演中でした。

大きな被害が出ていたため、県は違っても、公演を続行するかどうか悩み、猿之助さんは上演することを決めました。次の日の公演前にルフィの姿でお見舞い口上を行いました。写真で見て泣きました。以下、内容の抜粋要約です。

~様々な葛藤の末、みんなで話し合い、上演を決めました。不適切な箇所があるけど、演出は変えない。自分たちにできることは演じることだけ。淡々と続けることが、いつかすごい力になる。

盛り上がり、楽しむことが祈りになる。
笑って泣いて楽しんで、祈っていただきたい。それが力になりますように~

3.11の時も、猿之助さんはかなり葛藤があったと何かで読みました。何か言葉を並べたところでパフォーマンスでしかないのではないか。。と綴っていたのも記憶にあります。

でもこの時は言い切りました。
「役者は演じることしかできない」

ワンピースの上演続行は賛否両論だったと思います。私は「演じることしかできない」と行きついた猿之助さんを誇りに思いました。だから、応援したくて博多遠征を決行しました。

口上の日から、猿之助さんはハンコックのセリフを一部変えていました。

「この浜に何か灯りを」を「この浜に希望の灯りを」

そして、猿之助さんと言えば’募金’です(笑)
この話をすると長くなるので割愛しますが、ご存知の方も多いと思います。お金を集めることにかけては尋常でないくらい才能あります(笑)これは褒めてます!その日からルフィの拵えで幕間に募金箱を持って客席に現れました。

座頭が始めるから、他の役者さん方も拵えのままで募金活動をするようになりました。お客も全員の役者さんの箱にお金を入れたくなり、いつしか和気あいあいな雰囲気になりました。劇場にいる間は全てを忘れられました。

千穐楽のカーテンコール。

「ワンピースを愛するすべての仲間たちより」

福岡市長に熊本地震義援金を渡す際「僕たちから」ではなく猿之助さんが言ってくれた言葉です。11日間1公演1回の幕間25分の間に集まった義援金は、なんと約2,237万円でした。

歌舞伎ファンの底力ですね。何かしたいという気持ちを猿之助さんは汲んでくれた。だから、募金をするこちらが「ありがとう」だったのです。

この時は、こんぴら歌舞伎でも 鴈治郎さん方が募金活動をしていました。

自分には何ができるのだろう。。と強く考えるようになったのは11年前のことがあったから。そして博多座で、猿之助さんは確実に前に進み続けていると感じました。それは疫病禍でも変わらなかった。

変わったのはSNSで私たちの気持ちを救ってくれるようになったことかも(笑)嬉しいことです。


aya

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