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千穐楽を迎えるということ

歌舞伎座「二月大歌舞伎」千穐楽おめでとうございます。

仁左衛門さんの一世一代の碇知盛が無事に全日行われました。劇場の空気を想うだけで胸がいっぱいになりました。一つのお役を演じ切る幸せとはどんなものなのだろう。きっと一握りの役者しか味わえない感情があるに違いありません。

終わりは始まりです。仁左衛門さんの知盛は今後、観ることはできません。でも、ということは他の役者さんが知盛を演じる機会が増えるわけです。幸四郎さん、菊之助さんで拝見していますけど、歌昇さんでも観てみたいなと思う。もちろん機会があれば猿之助さんも。血まみれの猿之助さんを一度は見てみたいかも。

仁左衛門さんの二部だけでなく、一部三部も千穐楽を迎えることができました。今月は代役の代役も立ったり、何日か休演になったりして、目まぐるしく様々なことが起きた印象です。

それでも次々に代役を立てることができる歌舞伎は本当に素晴らしいと思います。不謹慎かもしれませんが、私はその状況を楽しもうと思っています。もちろん罹患された方、濃厚接触者になった方はお大事にしてほしい。けど、今はこれが’日常’です。

この組み合わせは無いでしょ!という方がきたらワクワクします。役者さんは「代役はあくまでも代役」と前に出て発言することも無いし、舞台写真まで断る謙虚な世界。お客もそれをわかっている人が多いから応援も大きい。その空気が好きだなと思う。

今日の千穐楽もあれば、迎えられなかった公演もありました。白鸚さんが一世一代で臨んだ「ラ・マンチャの男」、そして中村屋のコクーン歌舞伎「天日坊」です。

ラマンチャは公演できた日のほうが少なかったし、コクーンはあと2日というところでした。こういう知らせは何度聞いても辛いです。

でも私は以前のように絶望はしません。演劇に携わる皆様は毎日を命がけで演じ、覚悟もあるのかと。一回一回を全力で見せてくださっていると思うのです。誰も恨むことなく、この悔しさを次の公演にまた全力でぶつけてくるはず。無理やり開ける幕より、未来の幕開けにバトンを繋げられるように。

五ヵ月間の休演から1年以上が経ち、私は歌舞伎に対して信頼度が増しました。必ず次の幕を開けてくれる。

’絶対’なんてないことも知ってるし、一世一代だとしたら二度と無いのもわかっています。矛盾しているかもしれないけど、次はもっと楽しい幕を開けてくれると信じられるのです。

昨年4月歌舞伎座のあと少しで千穐楽。。という頃の緊急事態宣言で打ち切り。明日の公演はないと知らされた日の猿之助さんの小鍛冶の足拍子が、まるで怒りのようなすさまじい音だったこと。

8月の猿之助さんの休演の時、生きた心地がしなかったこと。復活の日は、これでもかと発散するかのような舞台を見せてくれました。

他の役者さん方もそう。喜びだったり、悔しさだったり。舞台のその姿を見て一喜一憂して、私も自分のことを乗り越えられて今があると思うのです。

千穐楽を迎えられたことは素直に喜んで、迎えられなかったことは素直に悲しんでいい。感じきって、その後はまた信じて待つ。いつか願いは叶うと信じる。

来月もまた幕が開きます。
楽しみにしています。
今月も有難うございました。

aya


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