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【マイストーリー】加藤敦子さん

加藤敦子さんと、emmyとの初めての出会いは2019年。
それは、ある友人のSNS上のプロフィール写真から始まった。


地元は岐阜の「岐阜じゃない方」。
広い岐阜県の中でも、織田信長や鵜飼いで有名な岐阜市は比較的西側にある。そうではなく長野寄りの田舎町。

そんな地元のお友達が、ある日突然facebookのプロフィール写真を変えたのだ。

自撮りではないのはすぐに分かった。
プロが持つようなすごいカメラで撮ってもらった写真。
なによりも写真に写った友人の笑顔から、今まで見たことのない魅力が溢れていた。

「どうしたのこれ?!」

思わず連絡してみると、岐阜県恵那市に住むカメラマンの小木曽絵美子なる女性が撮ってくれたものだという。

「いいなぁ…!」

恵那は、自分の住む地域と比較的近い。
そんな田舎で活躍している女性のカメラマンがいるなんて…。
すぐに連絡をしてちょうど募集がかかっていた撮影会に参加した。


会場は愛知県犬山市のスタジオだった。
決して長い時間の撮影ではない。
ただ、日常を忘れて何も考えず集中できる。
その楽しさに夢中になった。
楽しい!
すぐあとに行うという100人無料撮影会も、募集開始とともに予約した。



ちょうど子育てや一緒に住んでいる義理の両親、地域という小さなコミュニティの中で、せわしない日々を送っていたタイミングだったのもある。だからこそ、ひとりの時間に集中できる撮影という時間が宝物のように感じられていた。

他の人の感想などを聞いていると「撮影中のemmyとの対話の時間が良かった」という言葉をよく聞くが、今までの自分の撮影はそうではない。

ただ、自然の中でぼーっと、自分一人の時間を感じて味わい尽くす。
雑味のない無音の世界。

その中を遊んでいるさまをemmyが撮ってくれている。

「今のあっちゃんにはその時間が必要なんだね」

とは言葉にされなかったが、きっとわかってくれていたのだと思う。
だからこそ、撮影を受けるたびに満足するまで好きに遊ばせてくれていた。


子どものころから、まじめでがんばる子どもだった。
小学校の授業中、手を上げながら「先生は何を答えてほしいだろう?」と、大人の望む答えを探しているようなところがある子どもだった。
母にも、「敦子は大丈夫な子だね」と、弟と比較して言われたものだ。

小学校の先生として地元で就職し、土日や夏休みに当時大人気だったアイドルの追っかけをする充実した生活を送っていた。

転機が訪れたのは30歳の時だった。
まわりの結婚と出産の話を聞くたびに、30歳という年齢の壁を感じていた。
そんな中で自分も出会いを求めてあくせくしていたが、縁は上手くつながらない。

ところが、
「30を過ぎても楽しく生きていればそれでいいか」
そう吹っ切れたタイミングで、まさに「楽しい人」と出会ったのだ。

下呂市の建設会社に勤める男性。
現在の夫である。

昔祖母が占い師に「あなたは木に縁がある」と言われたことがあるらしい。
祖父は高山の建具職人だった。
だから、結婚する人が大工だと告げると大変喜ばれた。
不思議な縁というものがあるらしい。

彼は自分にはないものを持っていた。
30を過ぎて新しいことを始めるのも…と、興味を持った三味線を習おうか迷ったときにも「たのしそうなら始めればいい」と背中を押してくれた。
そんなに簡単に始めていいのか。
もっと「えいや!」と力を込めて、全力で臨むものではないのか。

自分の中には「始めたからには最後までがんばらなくては」という思いがある。
たとえ楽しくなくても、やらなくてはいけないならばやり通すべきだ。どちらかというと実家の教育はそういうものだったから、子どもの頃から何事も全力でやり通すべきだと、当たり前に思っていた。

だが、彼はそうではない。
柔軟で楽しいか楽しくないかをしっかり見ている。
もちろん、やるべきことはやらねばならないのだが、自由の効く範囲なら辞めてもいいと思っている。

そんな人だから、
「最近楽しそうじゃないから、今やってること辞めたら?」
そう言われて、何度もハッとすることがあった。
自分は気づいていなかったことでさえ、敏感に察してくれる人だった。

結局、彼と結婚して第一子である長女を妊娠、出産した。

子育ては、思っていた通りのものではなかった。
たくさんの育児書、した方がいい教育方法、そんなセオリーを軽々と超えてくる。
子どもなんて教科書通りに育つ存在じゃない。
なのに、自分は「教科書を教える人」に戻れるだろうか。

そんな悩みの中、育児休暇から復帰する数日前に第二子の妊娠が分かる。
これは、天の采配かもしれない。
結局一度は職場に復帰したものの、学期の終わりのタイミングで退職することを選んだ。


育児は、たくさんの葛藤の連続だった。
家族とはこうあるべき。
子どもに食べさせていいものはこれだ。
21時までに寝かしつけなくちゃ。
たくさんのルールの中であるべき家族像・母親像を模索し続けて、「こうあらねば」と力んでいた。

そんな中、学びになったのは長女と一緒に遊びに行く先のさまざまな教室の先生や他のママさんたちだった。
自然遊びを提唱しているグループや、大きな紙に好きなように絵を描く教室など。
いろんな価値観で子育てをする人がいる。
その出会いのおかげで、自分はすごく狭い場所で生きていたのだと気づいた。

不思議なもので、昔のことを長女は笑いながら「お母さんはあの頃鬼だったからね」と話す。
実際に今の自分が昔の自分を見てみると、いつも臨戦態勢でファイティングポーズを取っていた。今は、娘の推し活を一緒に応援できる。追っかけは昔取った杵柄とも言えるから、娘が推したいと思っていることを応援したいと心から思えている。

心の容量が、ずっとずっと大きくなった。
そこに写真を撮られることの果たした役割は大きい。


emmyの撮影に癒しを感じた。
ただ何者でもない自分という時間と、その時間が確かにあったという証拠のような写真たち。

そして、受け取った写真を見ていると要らないものが分かるようになる。
無駄に食べるものが不要になったり、家の不用品を手放せることが多くなった。

今までは「きっと食べておいたほうがいい」「きっといつか役に立つ」と、もったいなくて残しておいたものたちを、「今はいらない」と思えるようになってきた。

手放すときに手間と時間はかかったけれど、ありがとうの気持ちで家の中をスッキリさせることができたのだ。すると、子どもたちがもっとこういう家にしたいと希望を言うようになった。

そうか、今までは無意識に我慢して言わせない家だったのだ。
叶えられるかどうかは分からなくても、こうしたいって希望が言える家になってきた。

自分が変化していくと、家族にまで変化が起きていく。
それがとてもうれしい。


そんな変化はあったものだから、今回のフォトコーチングもすぐに申し込むことを決めた。

一度目の撮影を終えて、グループで参加者同士の話を聞くなかであることを感じた。

自分が癒されて楽しむだけなのは、もういいかもしれない。
同じ場所で遊び続けるのではなくて、次のわくわくする先に進んでもいいかもしれない。

そんな想いがふつふつと湧いてきた。

グループコーチングの時間にemmyが「撮影にテーマ曲を決めている」という話をしていた。
だから、2回目からは自分もテーマ曲を決めようと、探しているとある歌詞を見つけた。

――

見たことのない 新しい景色
絶対に観れるの
なぜならば
生きてるんだ今日も

――

Adoの『私は最強』の一節だった。


冒険をしてみよう。
次の撮影場所は京都にした。

結婚後、仕事の出張以外で遠方にひとりで出かけるのは初めてと言っていいぐらい久しぶりだった。実は、2020年に第三子を出産したのもあり、まだ幼児が家にいる。
それもあって、出かけるのならば家族と一緒に行った方が楽しいし、そちらの方が家族も喜ぶと思っていた。ところが長女に「うっぷんためて家にいるぐらいなら、外で好きなことやってきて」と一言モノ申された。自分よりよっぽど精神年齢が高い。

なにせ、下呂は岐阜の田舎だ。
名古屋に出るまでに電車で3時間かかる。
だから、移動するのはいつも一仕事だ。力が入る。

それでも、ちょっとした冒険をしようと思えた。
名古屋から京都はたった30分で着いた。
こんなに近い場所だったなんて。

当日はあいにくの雨だったが、着物を着てemmyと街を歩くのは楽しかった。
もらった一枚の写真を見て思う。

「この人はなんて幸せそうにお団子を食べているんだろう」

自分に対して、心の底から「かわいらしい人」だと思った。


SNSに写真をあげると、「かわいい」と言われることが増えた。
身長もあってどこかクールなイメージが強い。
何事も力技で何とかしてきた様子を、かっこいい人だと形容されることが多かった。

期待には応えたい。
元来のサービス精神でついつい求められる役割を演じてしまうことが多い。
だから、かわいい自分には慣れていなかった。

しかし自分はかわいらしい部分がこうしてある。
いつまでもがむしゃらに力む必要はないのかもしれない。
そう思ったら、周りからの「かわいい」の声も、気恥ずかしいながら受け入れられるようになってきた。


3回目は東京の丸の内で撮ってもらうことにした。

実は、はじめて犬山でemmyに撮影を受けた時、
「あっちゃんは丸の内の雰囲気が合う」と言われていた。

東京は遠いところだ。
だから最初は「ふうん、そうなんだ」と思っていた。
わざわざプロフィール撮影をするためだけなら、遠方に行く必要もない。

しかし半年のコーチングと撮影を受けていく中で、もっと写真展を盛り上げたい、emmyの応援をしたいという想いも加わって、自分もさらにもう一歩を踏み出したくなった。

服も自分で選ぶのではなくてプロにサポートしてもらった。
メイクもプロに相談した。
人の力を借りてみるのも、チャレンジだった。
ただ、自分ひとりでは選ばない服も、試着してみると思ったよりもずっと着こなせていた。
人に助けてもらうって、自分ががんばりすぎなくてもいいことだ。
いつの間にか癖になっているファイティングポーズを緩めてもいい。

最後だから、と力む自分はいなかった。
むしろ、撮影の数日前にSNSで東北の仏像展を東京駅ちかくのギャラリーで開催中なのを知り、ワクワクしながら東京に出発した。
好きな仏像の展示を見て、emmyと話し、そして撮影を受ける。
こんな気楽さで撮影に行ったのは初めてだった。


そして、東京丸の内。
人・人・人。
地元の祭りの日よりも、人が多い。

写真を撮ってもらうこと自体、まだ非日常な世界だと思っていた。
選んだ洋服だってけっして普段着ではない。

でも、丸の内では自分以外にも撮影をしてもらっている人がそこここにいる。
東京では、プロに撮影してもらうって日常茶飯事なのだ。
当たり前にみんなが普通にやっている。

その感覚の違いに、自分が世界をいかに狭く見ているかを知った。

都会の人は自分とは違う。
そんな勝手な勘違いも、コーチングで出会った仲間たちの姿を見ていると全然違った。
みんなそれぞれに事情があり、みんなそれぞれに悩んで、それでも進んでいっている。
みんな自分と同じ女性で、前に進もうとしている人たちだった。

emmyもいつも大きな挑戦をしている。
けれど、怖くないわけじゃない。
怖さを感じながら、それでも進んでいるだけなんだ。

だから自分も、怖いという想いは否定しないで、そのうえで楽しい方を選んでいけばいいと、彼女を見ているから思えるようになってきた。

今までは、地元の下呂で何かをしなければと思っていた。
しかし全国どこでも自由に飛び回っていいんだと気づかせてくれたのはほかならぬemmyだ。

最初のきっかけになった友人のプロフィール写真。
あれを撮ったのがもしも東京や名古屋の人だったら、きっと会いには行っていなかった。同郷だからこそ、勇気を出して行けたのだ。

岐阜だから無理。
田舎だから無理。
こんなに全国的に彼女が活躍しているんだから、その言い訳はもう使えない。

かつて自分がそうだった「私なんて…」と言いながら、悩みはないけれどモヤモヤを感じている人に、「もしかしたら変われるかも」のきっかけを渡せる人に、これからきっとなっていくのだと思う。


先日、3回目の撮影後に大寝坊をした。
疲れが出たのか、溜まっていたものが抜けたのか。
その後体調を崩して寝込んだ。

自分がやらないと、と思っていたものはすべて家族が回してくれた。
勝手に起きて、勝手にそれぞれが協力して朝ごはんを作り、仕事や学校に行く。自分が全部背負い込まなくても、家庭という小さな世界はちゃんと回っていた。

もっともっと、人に頼っていい。
もっともっと、人にお願いしたらいい。
全部自分がやらなくちゃと思うから、「私ががんばってるのに!」と周りに対して正義を振りかざしてしまう。

力の抜き方が分かった。
だから、今はすべてが楽しい。
これから見える世界は今までと違う。
「見たことのない新しい世界」だ。

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