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悩みを超えた「今」だからこその美しさを残したいー瀧川祥子さん

「今日はお兄ちゃんはパパとお出かけなの」
パソコンのカメラ越しに見える彼女はリラックスした格好で小さな男の子と一緒に手を振った。

リラックスしている。
しかしどこかおしゃれな雰囲気と抜け感のある。
そんな女性だ。

瀧川祥子さん。
彼女のカメラとの物語を聞いた。


衝撃を受けたのは2019年のある日。
知り合いのある女性が当時隆盛だったSNSにアップした写真だった。

その写真には彼女一人しか登場しない。
当然子どもも一緒にいない。

主役は自分とばかりに中央に彼女の姿が映し出された、まるでブロマイドのような、まるで芸能人が撮る様な、そんな写真だった。

有名人でもなく、モデルでもない。
普通の人が主役としてプロのカメラマンに撮影してもらっている。

こんな写真を撮る人がいるんだ!という驚きと、しかもSNSに出してもいいんだ!という衝撃で、目を奪われた。


当時の自分は大阪のマンションで夫と5歳になる息子の三人暮らし。事務総合職として働きながら子育てをするワーキングマザーだ。SNSに顔を出すなんてありえない。アイコンは水族館のジンベエザメだった。


芸能人になりたい。
アイドルになりたい。モデルになりたい。
小さなころ、憧れたブラウン管の向こう側の世界。
しかし、周りの「なれっこないよ」という声に夢にすることすら諦めた小さな夢の欠片。

それを現実にしている人の、しかも自分と同じ子どもを持つママの姿に、諦めていた想いがむくむくとしかも大きくふくらんできた。

「私も撮ってもらいたい!!!」

飛び込まずにいられなかった。


2019年5月。
はじめて、自分のためだけに写真を撮ってもらった。

職場の同僚で転職してカメラマンになった人はいる。だから、子どもと一緒にプロに撮られたことはある。

でも、カメラが狙っているのは子どもの顔で、お母さんである私はそえもの。カメラマンからしたら違ったかもしれないけれど、当時の自分はそう捉えていた。

子どもを産んだら、自分が主役のターンはこれで終わり。自分の両親や祖父母が当たり前にそうしてきたように、「娘」の時間は終わって今度は「母」の時間がやってくる。世代交代が起きてあとはそのまま「母親」としてのレールの上を歩むだけ。それを不条理に思うでもなく、当たり前にそういうものだと思っていた。

ただ、無意識に違和感はあったのだと思う。
思わず自分もやりたいと、衝動的に撮影を申し込んでしまったのだから。


しかし実際カメラの前に立つと、どうしたらいいかわからなかった。
ポージングも何もわからない。相手のカメラマンがぽつぽつと話すのに合わせて、仕事の悩みや愚痴をつらつらと話した。

「何もできなかった…」

キメ顔もない。
綺麗なポーズもとれない。
これではきっといい写真なんか撮れていないと落ち込んだが、カメラマンからSDカードに入った今日のデータをそのまま渡された。

家に帰って確認してみると、そこにいた自分は信じられないほど綺麗だった。


自分は日々の仕事や生活への悩みしか言わなかったはずなのに。カメラで切り取られた自分はこんなに綺麗だなんて。

わたしって捨てたもんじゃないのかもしれない。
そんな、自信を持たせてくれるような写真たちだった。

写真ってすごい。

これは、もっと知りたい。
もっと撮られてみたいし、何より自分が撮りたい。
すぐに写真の入門講座を申し込んだ。



直後、2人目の妊娠をしていることが発覚する。

「生まれてくる子を、どうせならめっちゃいいカメラで撮りたい!」

夫を説得してフルサイズのカメラを買ってもらい講座に挑んだ。

ところがいわゆる「吐きつわり」で、今となっては気持ち悪かった記憶だけで講座の内容はすでに覚えていないという。

「ずっとグミ噛んでたから、あんまりいい生徒じゃなかっただろうなあ」


とはいえ家の中ではすぐに吐き戻していたものが、講座に行くと気持ちは悪いものの吐かない。ご飯も食べられた。好きの力は偉大なのだと思った。


講座の当初から、撮りたいと感じたのは女性だった。自分と同じか、それ以上の年齢の女性に惹かれる。

撮りやすさで言えばもちろん若い女性に軍配が上がる。どこから撮っても綺麗で、若いエネルギーに溢れていて、ピチピチしている。

でもさまざまな経験をしてきた女性の深く、複雑な、その人にしかない美しさに惹かれる。

若いだけの純粋で無鉄砲な魅力ではなく、転んだ跡も挫けた跡もあって、そこからまた立ち上がって今がある。

今までどう生きてきたのか、それが顔に出るのは30代を過ぎてから。

だからこそ、そんな女性たちに魅力を感じるのだ。



長男が生まれて、はじめて「努力だけではどうにもならない」という世界を見た。

どういうわけかとにかくお母さん子だった彼は、自分の姿が見えないと泣き叫んだ。夫とお風呂に入ると身も世もなく泣き騒ぐ。ある時、夫に留守を頼んで美容院に行った約2時間の間、疲れることなく泣き続けたらしい。あとどれぐらいで帰れるだろうかとヘルプの電話が入ったほどだ。

「いったい何の修行だろう」


言うなれば相手は宇宙人だった。
もちろん、我が子だからかわいい。でも意思疎通はできない。こちらの要求は当然聞いてはくれない。

平日はお弁当を作って児童館に行き、子どもが眠たくなったら帰って夕ご飯を作る。別に、児童館に特別に行きたいわけではなかった。ずっと家にいるよりは外に出たいというだけ。

大好きだったおしゃれもできない。自分のことに気をまわしたいが、できないことにイライラする。それをしている場合じゃないと、最初からあきらめてしまう方が楽だった。



6年前だろうか。
長男が3歳の時、スタイリストの山本あきこさんの本を電車のつり革広告で見つけた。すぐに本屋で購入し、どうしても受けたいと東京まで日帰りで勉強に行った。
肌寒い秋の始まりの空気。
すこしの罪悪感と共に、自由を感じた。

その後、今度はさらに上の級の講座に泊まりで出かけた。
翌朝、誰にも起こされず、ひとりで眠り、朝ごはんを何を食べようかと考える。何とも言えない解放感に、涙が出た。
ホテルを出た東京の朝の景色を今でも思い出すことが出来る。

そんな体験をしている。
だからこそ、大人の女性の魅力が気になる。この人はどんな経験をして今があるのだろうと、その魅力はどこに宿っているのだろうと、つい、探してしまう。


カメラの入門講座を卒業したものの、妊娠中なのもありカメラに触るタイミングはあまり作れなかった。撮りたいなと思いながらも、なんとなく億劫で手が出ない。たまにお友達のカメラマンが主催するお散歩photoに参加する。モデルになるのは好きだったから、イベントにはよく出ていた。




自分の撮った写真を、だれかに喜んでほしいという想いはあったが、「別に誰も喜ばないよな」とそっとカメラをしまう日々。今にして思えば、まだ自分の好きな「絵」の作り方を知らなかった。

ある日、数あるイベントの中で出逢ったカメラマンの写真に驚いた。
その人は、撮った写真をそのまま納品するのではなく、編集をかけて自分の世界観を前面に出した写真を得意とするカメラマンだった。



ただの並木道で撮った写真がこうなるのか!
これをやりたい!

感動して、すぐに写真講座に申し込んだ。

そのカメラマンの講座は「あなたが撮りたい写真が撮れたら卒業」という一風変わった講座だった。

最初に面談があり、どんな写真を撮りたいのか希望を聞かれた。

「『an・an』みたいな写真が撮りたい。ストロボをバシっと使うような」

そんな話を聞いたあと、彼はごそごそと自分のカバンの中からレンズをとり出して「これ使ってみます?」と聞いた。

オールドレンズ。
現行のデジタルカメラについているレンズと違い、電子制御されていない手動のレンズだ。
オートフォーカス機能もなく、絞り・焦点距離を自分で決めてピントを合わせる。

(え?『an・an』は?)

と思ったものの、試しにレンズをつけてみた。
使ってみるとものすごくめんどくさい。でもそれがとにかく楽しい。出来上がる写真もすこしやわらかくどこかボケ感が残る。


撮影に普通のレンズとオールドレンズ、どちらも持って行ったけれど、撮っている自分の気持ちのノリが全く違う。完全に好みと一致した。

これ、ほしい!!!
このレンズで、いろんな人を撮りたい!




無事レンズを譲ってもらい、しばらく触らなかったのがウソだったかのように、とにかくカメラを持ち歩いた。ちょうど育休中で次男はベビーカーが大好きだったのもあり、行きたいフォトウォークに参加しては撮る。Instagramも始めて写真好きの人たちと交流するのも楽しかった。

師匠になった例のカメラマンに、「俺よりカメラ触ってますね」と言われるときがあるほど、とにかくのめり込んだ。



結局、次男は一度も児童館には連れて行かなかった。



小木曽絵美子との出会いは、2019年の秋だった。
カメラマンの交流会にたまたま参加した。バーベキューをしながら、初めて写真展を名古屋で開催するという話を聞き「すごい人なんだな」と思った。



自分の夢のためなら、どんなにいばらの道でも進んでいくジャンヌダルクのようだった。それ以来、SNSやライブ配信で、彼女の伝える言葉を聞いて元気をもらっていた。



思えば、やりたいことより出来ることをやろうとする人生だった。

「やりたいことは?」と聞かれても思い浮かばない。

そもそも自分にその役割は期待されてない。
だったら、自分が求められていることをした方がいい。人よりできることをすればいい。

そう割り切って生きてきた。
だから、働いてお金を稼ぐ方法を選択する段階になっても「好きなものを選ぼう」とは当然思わなかった。

ちょうど就職活動をした時代は就職氷河期真っ只中で求人の倍率が異常だった。

趣味はいろいろある。
当然ファッションも好きだ。
テニスで身体を動かすのもいい。
しかし、アパレルは楽しそうだけれど、自分にはセンスはないだろうと思った。

どこかにうっすらと、好きなことは報われないという想いがある。

やりたいことが嫌いになるのも嫌だった。
評価される場所に大好きなものを置きたくない。

それならば、ちょうど試験の結果がよく求められた総合事務職の仕事がある。そんな経緯で今の職場に新卒採用された。

今でも、評価されるのは苦手だ。
それでも、夢のためにいばらの道を往くジャンヌダルクの姿に影響されてしまった。一緒にその道を歩んでみたい。

まだ、自分の好きなものを「私はこれがいいと思っているんです」と人に見せるのは怖い。

でもこの人と、そしてこの仲間とならば、そうではなくて「祥子ちゃんの好きな世界観っていいよね」と言ってくれる場所になる。

そう思って、写真展にエントリーすることを決めた。


写真を、生計を立てる一助にできたら幸せだと思う。

ただ、カメラマンは体力仕事だ。出かけるにあたって大好きなおしゃれができないのが一番辛い。そんな理由もあって、今は保留中だ。仕事をしながら、自分の好きを大切にしながら、育んでいけたらいい。

でも、好きなことを仕事にしたいと思えたことすら大きな変化だった。

40年。
がんばるエネルギーで必死に不安と戦ってきた。しかし、そこを乗り越えてみると世界は穏やかだった。

まだその時の癖が抜けず、自分を酷使したり、試練を与えていない今に少し不安になることもある。

でも、自分が存在していることで誰かの力になれたらいい。何かをするのではなく自分の存在だけで自分も人も幸せになれたらいい。

女性の美しい瞬間は、日毎に変わる。
今の自分にしか出せない美しさがある。
だから、女性を撮りたい。

長く悩みの渦中にいたからこそ、その中に美しさを見出す。彼女の撮る女性はどこか清々しく透明で美しいのかもしれない。



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