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シューマン=リストの「献呈」がね~ どうも気になるのですよ


スタジオを運営するようになって分かったことは、なぜかこのリスト編曲は絶大な人気を誇っている、ということですね。

ちなみに、私のように、歌曲大好き人間は、圧倒的に原曲の歌曲の方が好きです。はいはい、分かったってば…。

それはともかく、やはり気になるのですよ~、こういう曲の表現のあり方。もとの歌曲における表現のポイントが、ピアノ編曲版を演奏するときに考慮されているのかどうか、というあたり。少なくとも、私などは大変気になります。

以下、歌曲好きの私が、このリスト編曲を聞くときに気になってしまうポイントを列挙してみます。

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★du meine Wonn' 

ここ6度の跳躍で「喜び」を表現するが、歌手が6度跳躍するときは、それなりに準備がいり、呼吸を通さないと(←と歌の方は仰いました)この跳躍ができない。つまり、幾分時間をかけて6度を表現するということであり、いわゆる「タメ」がないと。それに、溢れんばかりの「喜び」が6度跳躍になっているわけで。

★o du mein Schmerz 

「喜び」に呼応する「痛み」が、絶妙な和声で表現されていて、歌手も伴奏者も、ここの翳りの表現にいのちをかけるところ。何となく弾かれると、面白くない。なおかつ、語尾の z をどのタイミングで切るのか、歌手は、その終いを大切にする。ということは、音価をしっかり考えなければならない。

★du meine Welt

「痛み」が「世界」という言葉に変わるとき、和声も変わる。「世界」の質感こそ、伴奏者の腕の見せ所。

★darein ich schwebe

「飛翔する」という言葉、転調してさらに高く跳躍する。本当に飛翔しているか?

★o du mein Grab

「墓」という言葉が、再び「痛み」の和声とともにあらわれる。この Gr の子音を発音するには、それなりに時間がかかる。その時間的な「タメの」感覚、表現しているか。

★Du bist die Ruh

as が gis に読み替えられて、E-dur に転調するこの部分、和音連打でうるさくなりがち。でも、ここは、ソプラノやテノールにとってかなり低い声域。だから、もう一段静かに。しかも Ruh とある。より静的な雰囲気にならないと、歌詞と矛盾した内容になる。

★du bist der Frieden

ソプラノやテノールにとっては、最も苦しい最下音が出てくるところ。でも、その最下音こそ、完全な安らぎと和やかさにみちたものでなければならない。

★Daß du mich liebst

歌手は、畳みかけるように歌うところ。だからアクセントがついている。

★dein Blick

その眼差しこそは、輝きの源泉。だから、 Blick という言葉には、思い入れが絶対にあるし、時間をかけて発音される。ここも「タメ」が要るところ。

★verklärt

私を照らすもの、即ち光をここで感じないと。

★liebend

なぜこの音が転換点となって(ここでまた転調されて)長くのばされるのか。光が愛であることを歌いあげる瞬間。だから、この長くのばされる音に魂が宿る。

★mein guter Geist

万感の思いを込めて吐露する場所であり、この前に置かれる休符の呼吸こそがいのち。

★mein bess'res Ich

「より良き」というところ、この曲の中でもっとも歌手が力を込めるところ。そして、最後の Ich は、シューマンらしく後奏とかぶるが、フォルテであり(注記:ただし伴奏の後奏はピアノスタート、なぜなら Ich の声域はそんなに高くないから)、しかも、語尾をどこまでのばしてどう切るのか、歌手の腕の見せ所。これ、どういう音価で、どうのばして、どういう輪郭で音の終いを作るのか、という意識が要る箇所。

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演奏効果抜群なリスト先生の編曲、とても素晴らしいと思います。多くのピアニストが好んで弾かれる理由も理解できますし、純粋なピアノ曲として楽しむ、という考え方もあるとは思います。

ただ、原曲は非常に有名な歌曲であり、リスト先生も、もとの歌曲は十分踏まえていらっしゃったと思うわけですよ~。かつ、リスト先生、「愛の夢」のように、自作歌曲のトランスクリプションも作られる方ですしね。

そういう場合、やはり原曲の歌曲の表現をまずは参照してみる、というプロセスはあった方がいいのではないか、と私自身は感じています。

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