◆DAY1 衝撃の夜

*2019年2月16日*

まさか自分がタンゴを踊る日が来るとは。

路子先生がタンゴを「真剣な趣味」として、人生になくてはならないものとして没頭しているのは知っていた。けれど、「すごいなぁ、よくやるなぁ……カッコいいけど、自分には縁のない世界」と羨ましくも、どこか冷めた目で見ていたのも事実。

先週の火曜日、ブルーモーメント(路子先生のオフィス)で路子先生と話をしていたとき、路子先生のお友達Mさんがはじめてタンゴを踊ったときのエピソードを聞いた。「封印していた女性性が解放される感じが、危険」と涙したというのだ。
そのときも、Mさんは感受性がすごい人なのだな……と思うと同時に、私はそんな風にはならないと思ったし、「土曜日見学に来てみたら?」と誘われて一番に思ったのは、正直「感じられるか」という不安だった。

別にタンゴに「何か」を感じなかったとしても、それは人の個性だし、良し悪しでないことはわかっている。路子先生も「この先続けるか、続けないかは考えないで気軽に参加してね」と言ってくれていた。「ふーん別に……」と思ったらそれでいい。単に新しい世界を見てみるのが面白いから、と。

でも私は、何も感じなかったら、ショックを受けたと思う。だから昨日、はじめてタンゴを踊って、最高だったと思えることに、涙したいほど「安堵」しているのだ。


ブルーモーメントの下の、紅い小さな部屋。指定された19:50に着くと、男女七人が部屋の隅の椅子に座って赤ワインを飲んでいるところだった。レッスンを終え、一息ついているらしい。路子先生が私をみんなに紹介してくれる。少し硬い雰囲気。
その後、20分くらい談笑していたら、なんの前触れもなくいきなりダンスが始まった。自然にできた3組がくるくると踊りはじめた。なんだかじっとみるのが恥ずかしくて、その3組の足元を見ながら私は一人でワインを飲んでいた。

あの恥ずかしい、見たら申し訳ない気持ちはなんと表現したらいいのか。二人のラブシーンを見ているような、といったら言い過ぎだろうか。だけど踊っている本人たちは、そんな外野のことは気にしていないと後になってわかる(自分が踊ってみて)。
踊る人は踊る、休む人は休む自由な空間。ゆったりと心地の良い時間が流れる。

しばらくするとなかやまたけし先生(タンゴサロンLOCA主催の先生)が「もうちょっとしたら踊ってみる?」と誘ってくれる。緊張してきて、持ってきた赤ワインをぐいっと開ける。
うちにあったワインの中で一番濃厚そうなもの。タンゴをイメージして選んだ。熟れた赤黒果実とバニラの香り、イメージ通りの、濃くて丸くてしなやかなフルボディ。

そしてダンスが始まった。

はじめ、頭の中がうるさい、と思う客観的な自分。そして、ここからあまり覚えていない。
ただ、外界が消えた。
「見られて恥ずかしい」「はじめてなのに、踊れない」と思っていた自分も消えた。

「眼は閉じていて」と先生に言われ(というか最初から閉じていた)、視界は真っ暗。流れている音楽さえも消えそうで……ただ、たけし先生の汗と自分の手の汗の感触があった。
なぜ自分の足が勝手に動いているのだろう、と不思議に思いつつ、たけし先生の息遣いや足の動きを感じる。甘い香りがふわり。
「やっぱり距離が近いから、男性もエチケットには気を使うのだろうな」というのは、後から思ったこと(踊っているときは、甘い香りを鼻が捉えるだけ)。

あの二人だけの世界、刹那。路子先生がいう「死んでもいいと思う瞬間」とは、こういうことなのか?
たけし先生に「足を動かそうと思わないで、音楽だけは聞いていて」と言われ、消えそうになっていた音楽に意識を傾ける。本当にあっという間の1タンダ(3〜4曲のセット)。
どこまでがタンダの終わりかわからなくて、1曲毎に「ありがとうございました」と言っては苦笑される。「ありがとうございました」というのは、「あなたとの踊りはもう終わりよ」ということだから、タンダの途中でいうのはNGらしい。

終わった後、出てきたのは涙ではなく「先生、すごいですね!タンゴすごい!」という謎の興奮だった。レッスンを受けたことも、タンゴを生で見たこともないズブの素人を踊らせる先生。
「なんか、私踊ってる……!」「身体が勝手に動く!」というあの不思議な感覚。ほんとうにスゴイ。リードってこういうものなのね。タンゴって格好良すぎる、と感動。

とにかく楽しくて、信じられないことに四人の男性と踊った。そして路子先生とも踊った(後述)。

自分でも信じられない。滅多に行かないけど、クラブでも、コンサートでも音楽にノるのすらなんとなく気恥ずかしく感じてしまう自分が、タンゴを、はじめてにも関わらず、見ず知らずの人と踊る!!!!!!(画期的すぎてビックリマーク大放出)。こんなに大胆になれるなんて。

踊っているときの「どうなってもいい」という感覚。意識を集中しながら、相手の体重のかけ方を感じたり、心臓の音をきく。
そのとき私、にっこり笑っていたと思う。「この人に抱かれてもいい」という気持ちで踊っていた。踊っている間は、その人の恋人になったような気分だった。このどうなってもいい感覚、どこかで覚えがある……。
無責任で、刹那的なのに、永遠。

たけし先生とは1タンダ、慣れてきた頃にもう1タンダ踊った。「リズム感ないんです」と言った時に、「リズム感あることを証明してあげる」と1小節……この時も勝手に動かされた!自然に。

Mさんとは連続して2タンダ踊った。それもあっという間。ひとつアドバイスしていいですか、と胸と胸の間の距離を意識するように言われた。Mさんとのダンスはソフトで、たけし先生が有無を言わせぬ男らしさだとしたら、Mさんは少し中性的な優しさがあるように感じた(こう動いてもいいのかな、という選択肢が残されている感じ)。
心地よくてあっという間だった。気持ちいい。
上手な男性と踊ると、自分の体が軽くなったような感じがする。

もうあっという間に0時を回っていて、いつの間にか四人になっていた。「あやちゃん、タクシー代出すから、もう少し残ってて」と路子先生がいい(←男前)、また踊ったような気もするが、もはやアルコールの酔いなのかタンゴの酔いなのか、トランス状態のような感じで記憶がおぼろげ。

最後の方に路子先生のリードで踊ったことは覚えている。といっても体を揺らして相手の存在を感じるだけ。「頭で考えない」「まだ考えてる」って耳元で囁かれて、集中しようとする感覚は、瞑想にも似てる……。いいにおいがした。

この日、たけし先生からもMさんからも路子先生からも「タンゴに向いている」と言われた。たけし先生は「度胸がある。やればいいじゃん」と熱心に誘ってくれたし、Mさんには「素質ある。4曲目なんて一体感が最高だったと思うけど」。路子先生は、「感動しちゃった。いいタンゴを踊るようになると思う。私にはわかる」としみじみしていた。お世辞だったとしても嬉しい。でも路子先生はお世辞は言わない。

もし私がタンゴに向いている要素があるとしたら、”刹那に身をまかせる能力”じゃないかと今、書いていて思った。
昔からどこか、いつ死んでもいいと思っているところがあって、それが悪い方向に働きそうになったりもするわけだけど、もしそれをいい方向に活かすならタンゴだったりするのかな。

そして昨夜強烈に思ったのは、「もっと良くなりたい」ということだった。タンゴが上手に踊れるように、はもちろんなのだけど、それ以上に、美しいものに「感じて」、その世界の一部に属していたい……。私の中の、消えそうになりながらもかろうじて残っている、そういう世界に惹かれる自分を、殺したくないと強く思った。

何より路子先生の昨日の美しさ、怪しさといったら!!!!女の私でも惚れてしまう。昨日は「道化をやめたい」と本気で思った。余計なことを話さない。自分を茶化してピエロにして、守りに入るのはやめたいと思った。たとえ踊っている一瞬だけでも。

翌朝、軽い二日酔いのなか、自然と涙が出た。悲しいのでも嬉しいのでもなく、すごく美しいものを見たときに心が浄化されたような。そして生きてて良かった、と思えるような清々しい気分だった。
空は青いし、人生は美しいんだね。

■タンゴの良いと思ったところ
・余計なことを話さないのが良い!(おもしろいこと言わなきゃ、とか思わずに会話できそう)
・来ていた人たちが、なんか好きだった。
・何も言わずに自然と即興で踊り出すのがおもしろい。


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