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生きるって悪くない。フジコヘミング88歳の「ラ・カンパネラ」に涙した夜

先週、フジコヘミングのコンサートへ行った夜のお話。
フジコヘミングといえば、「ラ・カンパネラ」の演奏でその名を知る人も多いだろう。不遇の時代を経て60代で見出され、88歳の今も世界を股にかけて活躍する現役ピアニストだ。

私も名前だけ知っていた。今なぜ急にコンサートに行こうと思ったのか。きっかけは、Youtubeである動画を見たからだ。

要約すると、ピアノに触れたこともない楽譜も読めない52歳の海苔漁師のおじさまが、TVで偶然見たフジコヘミングの「ラ・カンパネラ」に感動して、それから毎日何時間も練習して7年間でマスターしたという話。最後には本人の前で演奏するという夢を叶える。

ちなみに「ラ・カンパネラ」はプロも嫌厭する超難曲。音を1音1音確認しながら、全4073箇所の鍵盤の位置を指に覚えさせるという、とてつもない作業だったらしい。

動画を見て不覚にも涙してしまった私は、生で演奏が聴きたくなった。リサーチしたところ、来月東京で開催予定のコンサートに空席がある!と、即予約。

海外で活動することの多い彼女が今年は日本で公演しているのもコロナゆえ。憎きコロナといえどもこの時ばかりは恩恵を受けた感があった。

さて当日。紀尾井ホールはほぼ満席。開演前のピアノ線が張り詰めたような緊張感と静けさに、一観客の私まで心臓が震えた。

開演ほぼぴったりと同時に、御付きの人に支えられながら本人が現れると、それだけで拍手が沸き起こる。人間国宝を見ている気分。もしかしたら最初で最後になるかもしれない、と公演中ずっと耳ダンボ、目をかっと見開いて演奏を聴いた。

実はその週初めには別のアーティストのピアノコンサートへ行っていた。横山幸雄さん。ショパン国際コンクールで日本人として歴代最年少で入賞し名を轟かせて以来、第一線で活躍するトップピアニストの1人だ。3日間でショパン全240曲を弾く公演を行うなど、ありえないことをさらりとやってのける。

横山幸雄さんの演奏は、ご縁あって何度も聴かせて頂いている。いつも非の打ち所がない、超人離れした指動きや力強さが際立つ技巧派で、(今の)フジコヘミングの演奏スタイルとは真逆ともいえるかもしれない。だからこそ、余計に「表現」ということについて考えさせられた。

フジコさんは、ミスタッチもする(素人の私でもわかるほどだ)し、速い指の動きを魅せるわけではない。だけど、ショパンでもドビュッシーでもリストでも、どの曲を弾いても、一小節目からまぎれもなく「フジコヘミングの音」なのだ。

例えばショパンの「革命」は、革命のさなかの激烈差は、さほどない。でも、その革命を成すために払われた犠牲とか哀しみの余波を感じ、ひときわ心に深く沁み入ってくる。「トルコ行進曲」も、あんまり「行進」っぽくない。行進したくないのかな、とすら思う 笑。
一部のクラシックファンには「楽譜通りじゃない」などと批判されることもあるようだが、何がいけないのか?

ラストは「ラ・カンパネラ」。そしてアンコールのベートヴェンの「テンペスト」も素晴らしかった。聴衆の期待に応えるように、ひときわ完成度の高い演奏に、私は不思議な寂しさと感動に包まれていた。

この人は、一体どんな人生を送ってきたんだろう。何千何万回、この曲を弾いてきたんだろう。その歩んできた歴史が、一音一音に内包されているように感じてなぜだが、無性に寂しくなった。
人の一生、終わりある旅路を目の前に突きつけられたからか。

少し前に新聞で見た記事で、フジコさんは言っている。

「同じ曲を何度も繰り返し弾いていると、硬さがとれてとろりとしてくる。私はそれでいいの」。今の自分の演奏スタイルには自信を持っているという。

実際、帰宅してから1973年の「ラ・カンパネラ」の録音を聞いたが、別人の演奏のようだった。速くて正確だが、だんぜん私は今の演奏の方が好きだ。

とろりとして、身体に染み込むエーテルのような音。
優しさと哀しさを帯びた音。

演奏中考えていたのは、私がいま夢中になっているタンゴも一緒だなぁということ。

アクロバティックな超人的な動きで拍手を取るダンサーもいる。かたや、50年以上ペアで踊っている老夫婦が、基本的な動きだけで拍手を取ることもある。

どちらがいい悪いではないし、踊り方も人生のシーズンで変わる。フジコヘミングの演奏がどんどんとろりとしていったように……。

大切だと思うのは、初心者がいきなり「とろり」にはなれないように、修練の日々を経たからこそ、そのスタイルに到達したということ。

歳を重ねたからこその表現で人の心を掴み、88歳になってなおステージで輝くフジコヘミングの姿に胸を打たれた。

人間って、生きるって、悪くないかも。

(おまけ)
当日のプログラム

(しわしわでごめん)

すべて暗譜で弾くフジコさん。第一部がなんか短いなぁ……と思っていたら、第二部の最初の挨拶で「さきほどエオリアン・ハープを弾くのを忘れました」。
あのシャキシャキした毅然とした声で仰るので、会場は笑いのさざ波に包まれた。ノーブルなフジコさんのお茶目な一面が見れてほっこりした瞬間でした。



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