sawada hajime

音楽教員🎹コレペティ/各種伴奏/自然を愛す

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私という人

世の中が慌ただしい。身の周りも慌ただしい。 いつ何が起こってもおかしくない社会。人間の歴史を辿ると、社会はそのような時代を幾度となく繰り返しアップデートされてきた。 無名の個人の歴史はやがて社会から消える。世の中に足跡を残したいとは思わないが、だからといって何かにつけ、言ったもの勝ちがまかり通る社会の現状には辟易としている。 私は所詮一介の音楽教員である。音楽を生業としているが、音楽を提供・享受することや教え導くことについて、社会的影響なしに音楽だけ切り離すことは極めて

    • 音楽大学に進学するということ

       ノートを書くのは久々です。これまで山道をひたすら登るばかりの人生において、初めて勾配が緩やかになり、やっと一息つける地点までたどり着きました。残念ながら山頂はまだ見えません。これまでの人生で何度も何度も絶壁に近い急勾配が私の前に立ち塞がり、死にかけたことすらあります。  唐突ですが、私は音楽大学卒ではありません。教育学部で教員を養成する課程を卒業し、教員になる道を選びました。教員採用後、現在の妻と結婚し二人の子に恵まれました。  この時には平凡な家庭生活を営んでいくのだ

      • 母の死

         先日、母が亡くなった。父の死後約6年の間、母の介護や実家のことをお世話しながら、時には話し相手にもなった。 母が認知症を患った2年半の間は、何事かあるごとに私がありとあらゆる方面に謝罪し、入院の手配から施設入所、後見人の手配、やれることは全て手を尽くした。 私は長男なので、身内、親戚、知人から良く言えば叱咤激励、悪く言えば罵詈雑言を何度も何度も浴びせられた。その度、生きていくことに苦痛を感じ、私自身が死んでしまいたい気持ちに駆られた。 父の逝去の時は、数百人の前で喪主

        • 責任の所在

          昭和〜平成の頃のテレビでは事件が起こる度、責任者一同が謝罪会見する場面をよく見かけた。最近そうした場面が減少したように感じるのは私だけだろうか。 大人が一度社会に出ると「自己責任」の名のもと、社会的責任を負う。それが一国民として当然の義務だと私は考える。極端な例えだが、何もない無人島で一人生活することを想像すれば、日常生活をする上で如何なる場面でも他人のお世話の上に生活が成り立っているわけだから、自分の行動は他人に対して責任を負う。 ところが、人に優しい世界線かなにか知ら

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        私という人

          人生のご褒美

          人生山あり谷ありとはよく言ったものだが、私の場合、目に見える形でチャンスが訪れる。大抵の場合、苦しくて逃げ出したり投げ出したくなるような窮地と絶好の機会はすぐ隣合わせである。 私は教員なので学校が職場だが、生徒の問題行動等で超過勤務を強いられていた若い頃、部活動では好成績を収めたり、うつ病を患って生活が立ち行かなくなった30代には、新しい人間関係が築かれて心身ともにリフレッシュしピアノコンクールで入賞した。 仕事や子育てがピークで苦しい時には、子どもが大きなチャンスを掴んだ

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          メンデルスゾーン作曲 ヴァイオリン協奏曲第1楽章

          親子でヴァイオリンを頑張っていた頃、様々な方々のご支援あって貴重な機会をいただいた時の動画です。拙い演奏ですが、ご覧いただければ嬉しいです。

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          ホール練習から サン・サーンス作曲 ゴドフスキー編曲「白鳥」

          生演奏で聴いた20世紀の大ピアニスト、シューラ・チェルカスキー。あの魔法のようなサウンドは生涯忘れないだろう。 1mmでも近づきたくて、比較的取り組み易かったこの曲をレパートリーに入れてみた。 チェルカスキーの練習方法は雑誌やインタビューで紹介されているので、真似ようと思えば真似できるはずなのだが、耳とメンタルが追いつかない。 チェルカスキー曰く「ピアノの奴隷」言い得て妙である。

          ホール練習から サン・サーンス作曲 ゴドフスキー編曲「白鳥」

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          心の秘事

          今回書くことはただのグチに過ぎません。 大抵の大人は心中に何かしらの闇を抱えながら生きているのだから、共感してもらおうとか慰めてもらおうといった「誰々に〜してもらう」といった考え方や生き方が私は嫌いです。また、自分の損得を優先した、さも他人のために振る舞っているかのような「誰々のために〜してあげる」というのはもっと大嫌いです。 こんなことを書くのは悲しいかな、親がそれにそのまま当てはまるからです。私は長年人間不信に近い状態でした。また、信じた人に手のひらを返されることも幾

          子育てと親ガチャ

          私の幼少期、昭和40〜50年代はドラえもんやサザエさんなど、ホームドラマならぬホームアニメ全盛期であった。 お茶の間で兄弟姉妹が集まってテレビを見る時間帯には、大抵子ども向けのアニメやヒーロー・ヒロインもの、戦隊ものやお笑い番組などが放映されており、週刊ジャンプ等の漫画雑誌とともに、クラスメイトと共通話題を共有することができた時代でもあった。 ネットやSNSがない時代、もちろんスマホや携帯もない時代だったので、メディアと言えばテレビやラジオであった。 私と同年代の日本人

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          50代の呟き

          私は50代である。中年真っ只中のおっさんで日々家と職場を往復する毎日を送っている。 若い頃、おっさんと言えば「汚い」「キモい」「ウザい」の三拍子揃った嫌な存在だと思っていた。今の若い人から見たら私自身がそう見えているかも知れない。 そんな私だが、人生を精一杯生きている自負はある。そりゃあ褒められた人生ではないかも知れないが、1寸の虫にも5分の魂といったところで、多少なりともプライドはある。 上記の理由から、昔取った杵柄を語ることはできる限り避けているが、おっさんだから時

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          社会情勢とオリンピック

           このタイトルと画像は無関係です。また、オリンピックに反対とか賞賛とかを語ることもありません。  唐突ですが、私はヤクザマンガが大好きです。幼い頃から任侠物のマンガをワクワクしながら読んでいました。それは現実を誇張して表現し、読者を熱気の渦に誘っているかに思えていました。  今また昭和のヤクザマンガを読んでいます。幼い頃に感じた誇大表現はまるで感じていません。現実の社会情勢の方がよっぽど誇大表現をしており、一般人を扇動しているのが明らかです。政治家の方がヤクザよりタチが悪い

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          独学ピアノの成果

          幸か不幸か中学校以降は独学だったピアノ。今も弾き続けられていることを考えると、幸運と言えるかも知れない。一般的なピアノ弾きと違う点は、幼少から専ら伴奏者として重宝されてきたことだろうか。 合唱曲の伴奏はもとより、弦楽器・管楽器・打楽器の伴奏や声楽曲の伴奏、長じてオペラのコレペティトールを長年勤めることとなった。伴奏だけでも取り組んだ曲は100曲は下らない。オペラでは1曲通しで2〜3時間はザラなのでアリアをカウントするとその2倍以上の曲を弾いてきた。 伴奏がメインと言っても

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          教員という仕事

          久々のノート。専ら仕事に忙殺されて書く暇もなかった。教員の忙しさとは、単純に業務時間や業務量ばかりでなく、大人と比較して不完全で未成熟な子どもを相手に、成長を見守る忍耐力を要するため、精神的に削られていく側面もある。もちろん、職場の人間関係も大事であり、学校一丸となって前進していくためには、円満な職場環境も大事な要素である。 幸い現在の職場環境では、ある程度円満な人間関係が保たれており、上記のことで心身を壊すまでには至っていない。勤務した学校によっては、心を壊して休職に至っ

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          季節感と暦

          おし〜えて〜おじいーさん…はハイジの歌(古)。私が教えてほしいことは暦の話。太陽暦・太陰暦は知識としてなんとなく知ってはいるが、なぜ仕事初めは4月からになったのだろう。ググれば分かるとは思うが、通り一遍の答えではつまらない。 1月から仕事初めの国もあるだろうし、地域によっては節目のないところもあるかも知れない。日本国が4月初めだということに不満がある訳でもない。 あくまで想像だが人間は太古の昔、日が昇るとともに活動し、日が沈むとともに活動を終え、四季に合わせて活動時間は変

          季節感と暦

          twitterに毎日ピアノ演奏動画投稿してますので、興味のある方はのぞいてみてください。同じ名前で投稿しています🙇

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          クラシック音楽と音楽業界

          上記タイトルについては世界中に数多くの著書が存在するので考察は専門家にお任せし、ここでは私見を書いてみたい。 私個人はクラシック音楽と約半世紀お付き合いしてきた。始めはピアノを通して、やがて合唱やオペラやオーケストラ、室内楽から吹奏楽など幅広く関わってきたつもりである。作曲も少しだけかじった。 いつも思うことだが、クラシック音楽業界を定義する時に気になる点が一つある。 ブラームスが全盛期を迎えていた頃、ハンスリックという音楽批評家がおりワーグナー派とブラームス派で作風の

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