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音楽大学に進学するということ

 ノートを書くのは久々です。これまで山道をひたすら登るばかりの人生において、初めて勾配が緩やかになり、やっと一息つける地点までたどり着きました。残念ながら山頂はまだ見えません。これまでの人生で何度も何度も絶壁に近い急勾配が私の前に立ち塞がり、死にかけたことすらあります。

 唐突ですが、私は音楽大学卒ではありません。教育学部で教員を養成する課程を卒業し、教員になる道を選びました。教員採用後、現在の妻と結婚し二人の子に恵まれました。

 この時には平凡な家庭生活を営んでいくのだろう、サザエさんやちびまる子ちゃん、あたしンちのような平和な家庭、漠然とそんな想像をしながら日々過ごしていましたが、人生とはドラマチックなもので、私には私のドラマが待ち受けていました。

 前置きが長くなったので、私語りはこの辺で、子どもの音楽大学進学までの話をしたいと思います。音楽大学受験の参考にはなりませんが、お読みいただければ幸いです。

 第一子は健常で生まれたものの言語発達が遅く、他の子どもと関わることが難しい子でした。心配した妻が発達系の支援施設に毎週連れて行き、辛うじて通常の幼稚園に入園通園することが叶いました(入園試験があり補欠合格だった)。

 そんな子でしたので、何か一つでも本人の取り柄になるようなものを身につけさせた方が良いのではと夫婦で話し合った結果、お互い熟知している音楽なら家でも教えられるから良いだろう、しかし私や妻が得意とする楽器だと必ず親子喧嘩になるからお互いが良く知らない楽器を習わせたら喧嘩にはならない、との結論でヴァイオリンを習わせました。

 この子が大人になった時、自分の趣味としてヴァイオリンが弾けたらアマオケとかで他人と交流する機会を持てるだろう、ぐらいの考えでした。アマオケだから下手でも良いということではなく、他人と合わせるからには基礎はしっかり身につけさせた方が良いとの方針で、この日を境に妻はタイガーマザーと化しました(妻はトラ年なので当時ピッタリだなと思っていました)。

 幸い、子どもはヴァイオリンを嫌がったり、辞めたいと言うこともなく2年が過ぎ、気がついたら音楽コンクールにもエントリーし(幼稚園の頃は妻が引率とピアノ伴奏をしていた)何故か全国大会に出場することとなりました。

 とは言ったものの幼稚園児のコンクールなぞたかが知れているだろうし、家族旅行の一環で東京に行こうかぐらいの軽いノリで出場を決めました。全国大会では予想に反し、各ご家庭の保護者ともわが子を将来音楽家に、というオーラを感じ圧倒されました。それに比べわが子はいかにもひ弱で、一回りも二回りも小さく感じました。結果は言うまでもなく最下位で、まあこんなもんだろと帰省したことを覚えています。

 その後も、毎年教室の発表会とコンクール出場で1年に2回ステージ発表はさせようと夫婦で計画し、コンクールでは全国大会に出たり出なかったりの繰り返しでしたので、さして才能あるわけでもないし、当初計画した通り、この子は趣味で続けるのだろうなと漠然と思っていました。

 転機がはっきり現れた訳ではありませんでしたが、ヴァイオリンを通じて少しずつ出会う先生や関わる友人にも変化が顕れ、子どもが小学生から中学生の頃には国内外の著名なヴァイオリニストに単発でレッスンを受ける機会が増えていきました。(家庭の金銭的問題から、自ら外部へのレッスンを依頼することは滅多にありませんでした)

 そして、とあるコンクールで最優秀賞を獲得しオーケストラと共演する機会を得ることとなりました。子どもの演奏面では、この時が親から見て明らかな転機でしたが、あるプロ奏者との打ち上げの席で、子ども自身の口から「僕、藝高に進学したい」と発言して私自身を驚かせました。

 家庭内で子どもに藝高進学を勧めたことはなかったので、夫婦で悩みましたが①家庭的に経済的余裕がない②継続的に専門家のレッスンを受けていない③普通高校卒業程度の学力や学歴がないと、万が一将来進路変更を希望した時に本人が苦しむ。

 以上を子どもに説明し、藝高受験は諦めさせました。この選択が良かったのか悪かったのかは、これから先の子どもが決めることであり、親の関与するところではないと思っています。

 さて、子どもは無事普通高校へ進学した訳ですが、音楽家への道を親の都合で閉ざすのは私が不本意でしたので、子どもには専門家のレッスンを受けることを選択させました。

 それまではあくまで趣味でヴァイオリンをやらせてきましたので、専門家のレッスン後は、子どもの演奏の変化に本当驚いたものです。

 その後は、師事した先生の計らいで、プロとの室内楽共演やマスタークラス等の参加を経て藝大受験までは一直線でした。子ども自身が藝大進学を望んだので、もはや止める理由もありませんでした。

 金銭面と演奏面担当は私、スケジューリングや心身健康管理担当は妻、第ニ子は兄のステージ演奏の準備やお家のお手伝いと一家総出でサポートしました。

 無事、子どもは藝大現役合格を果たし、今は大学生活4年目を迎えています。当初危惧したように音楽を続けていくことに疑問を感じ、辞めたいと思ったこともたくさんあるようです。今は何とか持ち直し、自分の将来に向けて研鑽していきたいと言っています。

 子どもが音大進学を目指したことで、親自身が相当鍛えられました。夫婦とも自分のことは二の次で、全エネルギーをわが子に賭けました。音大進学する過程で親として見たくない、知りたくない現実を何度も突きつけられ苦しみました。人間関係も相当断捨離しました。

 子どもやわが家をサポートしてくださっているヴァイオリンの師匠を初め、応援していただいている関係各位には感謝してもし尽くせません。これからもお世話になることと思いますが、家族一同よろしくお願いいたします。

 



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