ゼミ配属期間の違和感

僕は地方国公立の文理融合系の学部に属している。ちょうど今、ゼミ配属が決定する期間だ。文系学部だけれど、学際的な学び行うためにゼミを担当する教授陣の分野も幅広い。ゼミ配属期間に際して僕が感じてる違和感を書こうと思う。

何をもとに選ぶか

“ゼミ配属期間”というけれど、僕らはそもそも何を選んでるんだろう。

ゼミの雰囲気?研究領域?先生の人柄?卒業のしやすさ?忙しさ?就活に有利?...

たくさん考えることはあるけど、皆んな何を軸に選ぶんだろう。きっと正解はないけれど、そこに各々の大学における、或いは就活、人生における価値観を垣間見る。

僕の違和感はそれくらい重要なことを駆け足で決めさせようとする”期間(締切)”から感じるものだ。この選択はそんな易いタスクではなにのにもかかわらず、まるで小、中学生の夏休み終盤の宿題のようにやってきた。僕らはあの頃のように横一列になって競わされている。


友達にゼミ配属をどう考えるのか聞いてみた。

僕の仲の良い友達に、僕がいる学部で1番頭のいい首席くんがいる。(自己紹介が”私は首席です”だったので、そうなのだろう(笑))おしゃべりが好きな彼との会話はいつもディスカッションみたい。彼がお題を振り、それについて意見を出し合うという、なんとも気の休まらないダベリ。珍しく僕が彼にお題を振ってみた。

ゼミ選びで1番重視してることは?

"自分が興味がありかつ就職先に具体的なメリットを提示できる研究内容をいくつか考えていて、それを軸にふさわしいゼミを選ぶ。"

さっすが主席〜と思った。模範解答だなー、と。
大学の本義はとりあえず置いとくとして、現代の大学におけるゼミ選びの判断基準はそれがある種の模範だろうなぁ。

自分は何を考えているか

僕は入学当初から大学に求めてるのは、2つ。
モラトリアムの漫喫と同世代との繋がり。
モラトリアム、言い換えれば時間稼ぎ。
同世代との繋がり、言い換えれば遊びたい。
そんな不純な気持ちを満たすために授業料を払ってると言えなくもない。
でも、入学当初の自分が思ったこと、形は何であれ人生の指針を決める、何が幸せかをここで見つけることだった。
ゼミ配属の話に戻ると、僕にとってどのゼミに所属するかは残り2年の猶予期間をどういった学びで充実させ、人生の指針を定めるかだ。
コンパスの振れ幅はこの2年で間違いなく縮まってきている。

僕の学びたいこと
若者の分断
貧困や学歴格差により生じる意識の分断(主に大卒者と非大卒者間における)

僕はいわゆるマイルドヤンキーと呼ばれるような友達と交流がある。
彼らとの間で最近考え方の違いを強く感じるようになった。どちらが正しいとかではなくて、ただあの頃の様に話せないのが辛い。この違和感の正体を確かめたい。
これが就職に役立つかどうかおそらくNOだろう。
でも彼らを理解して、構造を理解してこの溝を埋めたいと思っている。

それました、私にとってゼミを選ぶということはこれほど意味を持つことで、僕自身も含め学生にそんな重要なことを駆け足で決めさせようとする期間に対する違和感でしたとさ。

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