エスパーダ(十刃)の考察、ヤミーの正体の考察。

十の死の形


作中におけるエスパーダは十刃と言われて十体の破面が存在しているがエスパーダは過去には七つの大罪と紐付けられていたらしい。
BLEACHと同じ世界のヨーロッパの話とされるバーンザウィッチにおける童話竜もまた7体であり、恐らくそれと被っているから、というメタ的な考え型もある。

童話竜


童話竜はその名の通り、童話が元になっているが
スノーホワイト→白雪姫→傲慢
レッドドレス→赤ずきん→暴食
ゴールデンアックス→金の斧、銀の斧→強欲
バブルス→人魚姫→嫉妬
シュガーハウス→ヘンゼルとグレーテル→怠惰
バンド・オブ・アニマルズ→色欲
そしてシンデレラ→憤怒
と当てはまる、というか当てはめられる。
雑に当てはめているし、もしかしたら童話なので複数の要素がつまっているので作者が意図したものと自分の解釈が異なる場合があるが。
七つの大罪要素が何処にある?と言われると直接的ではないのだが七つの大罪に対応する七つの美徳、
傲慢なら謙虚
暴食なら節制
強欲なら慈善、寛容
嫉妬なら感謝、人徳
怠惰なら勤勉
色欲なら純潔
憤怒なら忍耐。
この美徳、あるいは大罪を童話に当てはめると
「○○(美徳)をしていたからこのキャラクターは幸せになった」
「○○(大罪)を犯していたからこのキャラは死んでしまった、不幸になった」という事に繋がる。
それでもつじつまが合わない、納得いかない場合もある。バンド・オブ・アニマルズとかは何故色欲なのか、といえば七つの大罪の色欲を司るアスモダイという悪魔、あるいは司る幻獣であるインキュバス、サキュバスの力と話が対応する、と考えれば自分は納得できるのだけど、結局その辺りは自分で調べるなり納得してもらうしかない。

エスパーダのモチーフになりそうなもの。

基本的にBLEACHのエスパーダもバーンザウィッチの童話竜も同じ物とすればエスパーダも元になった「物語」があったのではないか、と思って当然だ。
そしていくつか考えたのだが
スターク→グリム童話「狼と狐」
バラガン→日本昔話「浦島太郎」
ハリベル→恵比寿様の神話由来。
ウルキオラ→アラディア、魔女の福音
ノイトラ→蟷螂の斧(諺)
グリムジョー→?
ゾマリ→?
ザエルアポロ→?
アーロニーロ→?
ヤミー→?
ただし、アーロニーロはどうも強欲を司る事から七大罪で対応する悪魔、マモン。もっといえばその源流とされるエジプトの太陽神アメン・ラー。
ヤミーは七大罪の憤怒を司るサタン、その源流のエジプトにおける暴力と砂漠の神セト。
しかし、ヤミーの姿自体はオリオン座がモチーフではないか、と考えられる

グリムジョー、黙示録の獣説


グリムジョーについては豹が帰刃の姿のモチーフなので黙示録の赤い竜からその力と権限を継承される豹の姿をした黙示録の獣が考えられない事もない。
ただそうなるとその権限を与える赤い竜は藍染惣右介だったのではないか、と思う。
竜の姿は7つの頭に10の角。十刃とその前身となる七つの大罪は当てはまる数字だ。
そう考えるとグリムジョーの「6」という数字の意味、グリムジョーのフラシオンがバラガンのフラシオンなどの古参虚の配下より番号的に早く破面化している事が納得できる。
赤い竜として藍染惣右介が天に立ったあと、グリムジョーに自分の後継者、「黙示録の獣」 として世界を統治する力と権限を与える。
そう考えるとグリムジョーの司る力、破壊の力とは藍染から与えられる力であり、作中では手に入れる事が出来なかった「未完」の破面、エスパーダだったのかもしれないと言える。

ザエルアポロ、大淫婦バビロン説

グリムジョーが黙示録の獣であるとするのであればザエルアポロはその帰刃や力の名称から獣に跨がる大淫婦バビロンに相当すると考えられる。
実際、二人の間に関係が全くないわけではない。
グリムジョーのフラシオンでありザエルアポロの兄弟であったイールフォルト・グランツがいる。
またそれぞれの6と8という数字。
どちらかというと漢字の「六」と「八」の形の類似性と成り立ちの意味。
八は2つに分かれるという事を意味し、六はその形から柱に屋根がついたという事から元々の「六」の意味は「家」の意味があったと言われる。
そしてグランツというのが日本語では「光」を意味する言葉らしい。
つまりエスパーダの「八」とは光を2つに分ける事を指し、そして「六」はその分けられた光の片方を屋根で隠す、つまりは自分の過去の考察におる黒崎一護と同様の「日食」 のモチーフにもなっているのではないか、とも考えられる。
六である黙示録の獣と八で引き裂かれた片割れの大淫婦バビロン。
大淫婦バビロンがザエルアポロのモチーフだとしたら「変革者」「革命者」でありその「悪魔」的側面がザエルアポロとも言えなくもない。
またグリムジョーは青に近く、ザエルアポロは赤に近い。
そもそもザエルアポロから切り離されたイールフォルトの帰刃の名前も「蒼角皇子」と青を示す。
これは太極における陰陽、陰が青、陽が赤によって表されることから黙示録の獣と大淫婦バビロンという事かもしれない。

数字の意味

説明の順序が逆になるが数字に何らかの意味があるのは確実。
ただし見た目通りのアラビア数字ではなくエスパーダの数字の持つ意味は漢字の一、二、三、四と続く数字だと考えている。
そもそもが破面達の使う言語と一致させるのであれば体に刻まれるのはアラビア数字ではなく、ローマ数字である筈。
数字の「音」、そしてその「形」が違う以上は「意味」、というより数字の示す由来も違う国、あるいは違う地域のものが当てはめられると自分は解釈している。
そうして考えた結果グリムジョーの「六」とザエルアポロの「八」なのだが残りは何なのか。
一→全て。
ニ→重ねる。
三→ミから「御」、そして神
四→口の中が見える様子、「息」
五→天と地の繋り。
六→家
七→「シチ」 から切る時の音
八→分ける事。
九→終わり
十→まとめる。
エスパーダにこじつけるなら
一→スタークとリリネット、セットで全ての力。
ニ→バラガンの力、老いは歳を「重ねる」
三→ハリベルは犠牲は生贄、「神」への捧げ物。
四→息は「自」に「心」。
五→カマキリは本来は天からの使者で血に降り立つ。
六→王となる者の屋根のある住居、城。
七→「切」から刀がない、敵意のない非戦闘員。逃げる者。
八→分けられた存在。
九→全てを食らう。
とここまでは一応こじつけは可能である。
しかし
十に至ってはヤミーと繋がらない。
ヤミーは十刃のまとめ役という柄ではない。
帰刃の力も何かをまとめるようなものではない。
それの10番の事についてはヤミーも言っていた。自分は10番目ではなく「0」番目であると。

「0」のエスパーダ。

ヤミーが語った0番目、序列としてはスタークを超えた最強のエスパーダである。
ではその0だが漢字で示すと「零」となる。
その零であるが「取るに足らない」だとかあるいは「無」を指す。
日本のフィクションに慣れ親しんだ者からすれば「零」というの何かロマンを感じるものである事は確かだ。
1、2、3と続く正規品に隠された全ての始祖となる全てを破壊する封印された「零」みたいな。
そのイメージ自体がそもそも元をたどれば陰陽、太極であるとかそうしたものにたどり着くのであるがそもそもおかしい事がある。
ヤミーだけ帰刃しても「10」から「1」が剥がれ、「0」になった。
ソレについては印象に残るシーンではあるが他のエスパーダはどうか。
数字が書かれていた部位が帰刃によって隠された、あるいは消されたのか分からないか「見えなくなっている」状態である。
つまり何を言いたいかというとヤミーの帰刃はエスパーダ最弱「10」番目から最強の「0」番目のになる能力ではなく「1」の力と「0」の力、2つの力を持っていたという可能性がある。
そして1が「全て」を表すのなら0は「無」を表す。
結局のところの「太極」における「陰陽」を示す事となる。
グリムジョーとザエルアポロが「未来における 黙示録の獣」、「第2の獣」であるなら「現在の黙示録の獣」が1と0を持つヤミーだったという事になる。
ただしそうなるとヤミーは帰刃状態から更に帰刃、ウルキオラとは別種の2つ目があることになる。
そう考えると2つの刀剣解放がある二人が何となく仲が良かったのは理解できるのである。

ヤミーのモチーフ。

一応、エスパーダとされる存在は作中で刀剣解放を行った。
ヤミーの「0」の解放を残している、というのはあくまで自分の考察だがヤミーが司る力は「憤怒」から七つの大罪のサタンが連想される。
自分は記事の最初の方でヤミーはサタンの源流となるエジプトの邪神セトとオリオン座を上げた。
オリオン座はギリシャ神話における巨人であり蛮勇を誇ったがそれを見かねた神がサソリを差し向けて殺した。
そのオリオン座が夜空でさそり座から逃げるようにして去っていく様子であるがそのオリオンはエジプトにおいては「死と冥府の神」であるオシリス。
そしてそのさそり座の心臓部となる星、アンタレスはエジプトにおいてはアヌビス。
オシリスの子であり、オシリスな冥府の神になる前の冥府の王。オシリスにその座を譲ったあとも天秤で死者の魂を測り、オシリスに協力していた。
つまり憤怒の死の形からセト、1の帰刃の姿からオシリス、アヌビスを連想される。
その後も怒る事で身体を変化させて行く。
詳細が作中で省かれているため分からないがどうも邪神セトを表すセト・アニマルをあらわしているのではないかと思う。
神話におけるセトと敵対したアヌビス、オシリスともに内包している上にさらなる怒りでセト・アニマルを表現してセトの力、暴力をまき散らすヤミーだがそれでもまだ0の力は解き放たれていないのである。

0の行方

にわかBLEACH考察であると同時に自分はにわかメガテニスト、女神転生シリーズのファンである。
だから「憤怒」と来てすぐに七つの大罪のサタンとヤミーを結びつけた。
しかしどうも上記の根拠から「セト」のほうだと考えるとすぐにサタンになるための片割れを探した。
真・女神転生2において邪神セトとあるキャラが合体し、大天使、あるいは神霊、「裁く者」サタンになるのは名シーンの一つである。
女神転生シリーズにおけるサタンは基本的に悪魔ではなく最高位の天使、法と秩序の番人であり、その法に従わないのであれば例え自分の親、自分の根源でもある絶対神すら裁く存在である。
BLEACHにはサタンも登場しないし適当に自分が紐付けているだけである。
とはいえサタンになるには邪神セトとある人間キャラの融合イベントがあるのだが、これにもちゃんとルーツがある。
それはサタンの由来が「セト-アン」、意味は「セトの犬」。
この「犬」というのはサタンを悪魔のトップと位置づけた宗教家から見た蔑称であり「セト」という土着の邪神を崇める者達を指す。
セトは確かに暴力を振るう危険な神ではあるが単純に悪とも言い切れない。
砂漠の神でもあるため砂漠の旅路の安全祈願などを願う神でもあった。
そうしたセトを崇める存在を「邪教徒」、「異教徒」として「セトの犬」としたのが「サタン」の始まりであるとされているらしい。
さて、この理屈を元にヤミーをセトとするなら「セトの犬」は何かとするとヤミーのフラシオンとされる「35」の数字を持つ子犬型破面のクッカプーロ。
ヤミーが「1」と「0」の力を持ち、その0が消えなかったのはこのクッカプーロの存在こそが「0」の力であると考えられる。

最後

クッカプーロがヤミーにとって0の力であるとするならクッカプーロにとってヤミーは1であった。
そんな風に考えた場合、クッカプーロの「35」の数字も「3」と「5」に分けて考えるのも自然なのではないか。
3は神、5は天と地を結ぶもの。
クッカプーロがサタンとなるものとして考えると3が先、5が後となる35は「天から地に堕ちた」、「堕天使」を意味するようにも感じられる。
そのうえでクッカプーロがヤミーの持っていた力を得た時、つまり「1」の力を得た時。
315、サイゴ、最後となって最後の審判の時、セトの犬はサタンとなる、とかなったら面白いなぁ、とは思う。
ほぼほぼ妄想に近いけれどクッカプーロが弱い子犬の姿であることは何らかの意味があってこそ、だとは思う。


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