BLEACHを五行説で考えた時の土台




五神

五行説は世界を5つの要素に分けた考え方で木、火、土、金、水という考え方は非常に基本的な物である。
だがこの五行説はその中に世界を内包しているために様々な分類分けがされており、例えば漢方薬などの臓器の考え方なども五行説の「五臓」から来る考え方に由来している。
そしてこの「五神」であるが精神的、あるいは霊的な物を示す考え方でありBLEACHの考察をする際、五行説という大きな枠よりもこの五神というジャンルで見た方が適当であると考える。
この五神にはBLEACHで重要な役割を持つワード「魂魄」、そして「意志」「神」というものがある。
こうして単語として見ると3つであるが
五行説、五神の考え方に当てはめた時に
木→魂
火→神
土→意
金→魄
水→志
と分けられる。
コレにBLEACH内の死神だとか虚といった種族を当てはめたりするのが基本。
そのうえでさらに個別のキャラを考察したりする際はキャラの性格、能力、種族などを当てはめていく。
作中で描かれる物を当てはめても5つの要素、全てが作中で描かれているわけではない。
しかしながら最低限、3つの要素は描かれている。
その描かれている3つ以上の要素を五行説に当てはめたると残る2つの要素は自然と見つかる、消去法的な考え方だ。
とはいえ、見つけ出すための「モデル」となるものを知らないと見つける事はできない。
今回はそのモデルとなるものを五神のそれそれの要素「魂」「神」「意」「魄」「志」の漢字から考えていく。

漢字を探る・意

五行説の五神の要素を示す「魂」「神」「意」「魄」「志」。
この漢字一つ一つにそれぞれの意味がある。
しかし「神」以外の4文字は一つの文字としてよりも「魂魄」、「意志」という熟語の意味を通して日本人は理解している方が多い。
そしてこの2つの熟語だがそれぞれを構成する漢字には「鬼」と「心」が入っている。
「魂魄」には「云」と「白」。
「意志」には「音」と「士」。
魂魄、の前に意志の力を考える。
死神や破面の斬魄刀の始解の「解号」、「月牙天衝」のような技の名前、倒された兵主部一兵衛がラストに生き返った現象。
そして完現術。
BLEACHにおける「言葉」の力、「音の心」が宿った存在。
言い換えれば「言霊」とでもいう力。
鬼道も詠唱という力であり、同じ力に属するが魂魄の二文字の漢字を構成する共通の漢字である「鬼」がある。
つまり鬼道とは「魂」、あるいは「魄」の力を「意」の力を再現する力。
詠唱破棄、あるいは解号の省略は力ある者だから出来るとされているが漢字から考えると
詠唱や解号に当たる「音」の力とその能力の性質である「心」を合わせる事で「意」となり「鬼」の力を再現出来る。
これは完現術も同様である。

漢字を探る・志


意の力を先述のように考えた時、滅却師の「聖文字」も似たような力であると考える事ができる。
滅却師の「聖文字」とは即ち「志」である。
何故滅却師が「士」なのか、といえば士とは侍、貴族などの「役職」を示す物であり「王」と同質のものである。
「王」とは3つの横棒とその中央に一本の縦棒で構成されるものだが横棒はそれぞれ「天地人」を示しており、それを貫いた縦棒は「3つを束ねている存在」であるという説がある。
つまり「士」とは役職を示す存在であるが上記の「王」から逆算して考えると上の横棒「天」がなく「地」「人」の2つを束ねる役職であると解釈できる。
同時に滅却師が存在している、それだけで既に「士」が完成しており、あとは「心」を示すだけで「志」として力が発生する。
そして1000年前に死神に敗北した滅却師が何故死神達を蹂躙出来たのか、といえば1000年をかけて滅却師の「志」の他に「意」の力を手に入れて「意志」の力を手に入れたから。
この意志の力、五神から五行説に直すと土と水の力となる。
そして土と水の力を手に入れたという事はその間に挟まる木と火、つまり「魂」と「神」を制御出来るという事になる。
この魂が死神そのもの、神が卍解であるため、奪う事が出来た。
その一方でこの五行説に当てはめた時の土の力に相当する「意」の力の鬼道や始解は奪われなかった、とすれば説明がつく。
また、意志は「魄」も挟み込む形となっており、魄に相当する「虚」の力も制御、克服できた事になる。
ただし「意志」が万能か、というわけでもなく同等の力を有する「魂魄」の両方の力を備えた黒崎一護には通じなかった。
その一方で護廷十三隊に復帰した元ヴァイザードは何故散々な結果だったのか、といえばやはり「死神」として戦うスタイルを貫いたからと言える。
これはつまり一護のように魂魄のバランスが取れている状態ではなく、虚の力を制御、つまり魄の力を制御するために魂の要素が強かったため「魂魄」という形ではなかった、と考える事が出来る。

魂魄と神

先に語っているが魂とは「死神」であり魄とは「虚」、そして神は「卍解」に相当する。
死神が魂、というよりも虚ではない霊、物語の途中からすっかり聞かなくなった「整」が魂にあたる。
それはともかく、この「魂魄」には共通する鬼の字を外すと「云」と「白」の字がある。
虚が魄であるというのは仮面が白い事、そして魄には死後、地に落ちて鬼となる霊という意味がある事が虚=魄説の始まりである。
では魂が死神、整なのは何故かというと魄に対して死後、天に昇り神となる霊という意味がある事から。
そして「天に登った後に神となる」という事から
死後、天に登る前が「魂」
死後、そして天に登った後が「神」としてそれぞれ
魂に死神、神に卍解を当てはめた。

魂と神に隠れているもの

魂は「云」と「鬼」に分けられており、そして同じ様に分けると神は「礻(しめすへん)」と「申」に分かれている。
魄が虚を示している事から鬼とは「虚」と同じ様な意味である事を考えると鬼はつまり「霊」そのものである。
日本で鬼と言えば筋骨隆々の人食いの怪物のようなイメージがあるがもともとの意味、つまり中国的な解釈をした場合の意味としては「幽鬼」のような存在。
フィジカルに優れた怪物ではなく、取り憑いたりする悪霊のようなイメージである。
話はそれたがつまり魂とは「云」の「霊体」と言い換える事が出来る。
云とは「云う」という言葉を口にするという意味があるが確かに死神は始解や卍解、鬼道と様々な「言葉」を使う。
「云う霊体」としても間違いではないがもっと「云」に着目する。
ここで考えるのは霊王、そして同等の潜在能力を持つとされる黒崎一護。
霊王は「神」と等しい存在であるように作中で語られているがつまりは何かの「卍解」そのものと解釈できる。
では黒崎一護は、というと霊王と潜在能力としては同等以上とされるがまだ黒崎一護本人はそこに至っていない。
一度だけ「無月」でそこに至ったと言えるものの、結局あの時一度だけであり、作中では常に「死神」であり、「魂」だった。
そして何かの卍解そのものである「霊王」とその前身とも言える「黒崎一護」の2キャラの間にはあるラインがある。
それが「雲」。
天、つまり雲の上にいるのが霊王であり、雲の下にいるのが黒崎一護である。
そして黒崎一護が作中では事ある事に「表情が曇る」描写がされており、ネットなどを見ても「一護にはとりあえず表情を曇らせておけばいい」といったネタ的な話もある。
しかしこの「表情が曇る」という事が何を示しているか、といえば黒崎一護の中で困難な状態に陥り、まるで雲の中にいるような周りが見えない状態、視野狭窄、簡単に言えば「悩む」状態にある。
その「雲」だが古代中国においては「龍」がいるとされる。
「云」の字は上唇と下唇の動く様の象形とされるのだが、
「雲」の中の「云」とは龍の象形から来ているとされる。
つまり死神とは「魂」であり、神になる前の存在、「龍」である。

さてそれでは卍解に当たる神は、というと「申」、つまりは「猿」だ。
これについては藍染惣右介の巻頭ポエムで語られているところが根拠となる。
そしてそう考えた時に「神」を自称したバラガンと「狒狒王」の名前の卍解を持つ阿散井恋次に「申」という共通点が、そしてグリムジョーと阿散井恋次の刀剣解放には「王」の共通点が出てくるわけである。

まとめ

今回の考察から
・BLEACHは五行説で作られている。
・五行説の中でも精神や霊に関係する「五神」の分野から主に成り立っている。
・BLEACHの中で描かれる五神とは
魂→雲の中にいる龍を示し、思い悩む様、成長する木の性質を表現している。
神→卍解や帰刃などの刀剣解放などの実体をもったキャラではなく力そのものに相当する。
意→音を発する事によって得られる力。そのキャラの主張や意思の疎通をしめす。
魄→思い悩む魂が解き放たれ、本能的な獣だけが残った虚をしめす。
志→「王」より与えられた「士」という役職によって得られる力。過去においては霊王、そしてユーハバッハによって得た滅却師の力。

意思の力→作中においては「聖文字」を得た滅却師達。1000年の修練によって得た土の力である「意」と元々備わっていた滅却師として水の力である「志」の力を得ている。
それ故に五行説の循環において意志の間に挟まる木の要素である「魂」である死神から生み出された火の要素の「神」に相当する卍解を制御、支配する事が出来る。
また同様に土と水、意志の間に挟まる金の要素である「魄」も克服している。
その一方で意志と同等の魂魄の要素をもった黒崎一護、そして虚であり死神の力も持つ破面、グリムジョーの力は抑え込むことが出来ない。

藍染惣右介、銀城や月島について

いずれも章ボスといえる存在で強大な力を持つが何故黒崎一護達に負けたのか、といえばこの五行説において足りないものがあったからである。
藍染惣右介は死神として隊長であり、破面を従えた存在である。
死神として魂、神の力は十分、90番代の鬼道も詠唱破棄可能で意の力もある。
崩玉と融合し、虚の力、つまり魄の力もある。
そう考えた時に藍染惣右介に足りなかったのは「志」である。
滅却師の力が足りなかった、という話ではなくもっと精神的な物で言い換えれば「責任感」というものだろうか。
初期の石田雨竜は滅却師というものに拘るあまり、空座町を危険な状態に陥れた。
あれが「志」が強すぎる状態なら藍染惣右介はその志が弱かった。
死神の隊長としての責任感。
思い悩み成長していく木の要素を助ける水の要素。
それが強すぎる他の要素に比べて弱かった。
それ故にその一点を決死の覚悟で「最後の月牙」を習得に至った黒崎一護に敗れたわけである。
他の銀城や月島なども同様であり、「何か」が欠けていた。
銀城の完現術は「クロス・オブ・スキャッフォルド」だが十字架のペンダントだがこれが意味する事は銀城の死神への恨み。
十字架、といえばキリスト教のソレがイメージしやすいがキリストの復活を意味する。
つまりは「死の超越」であり、BLEACHにおいては死を司る対死神の力と言える。
つまり死神を嫌悪するがゆえに「木」の要素、そしてそこから生まれる「火」の要素が弱かった。
だからこそ後の滅却師の卍解の奪取能力に近い能力を完現術として発動した。
月島については完現術者でありながら五行説で考えると「意志」の力が弱い。
銀城の言うがままに動いていた。
その一方で生きるために思い悩み成長する魂と孤独などの恐怖を感じる本能的な魄の力が強く、火の力である神、力そのものが強かった。
月島の強さは五行説に当てはめた時、自分の「意」「志」の弱さを上から銀城が導き、そして獅子河原萌笑が下から支える、という二人に依存した形でその強さを完現術者編で発揮していた事になる。
死後は依然としてまだ五行説のバランスは強すぎる魂魄と神には及ばない意志の強さ、という形ではあるが支えてくれた獅子河原萌笑との別れを経験し、それを埋める程度には強さを得た。
それ故に他のキャラの協力もあって全知全能に近いユーハバッハの力に介入し、一護の斬月の復元が可能になったと解釈できる。

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