千本桜景厳の東西南北を考察

卍解の東西南北

自分は以前から卍解には山本元柳斎重國の残火の太刀のような「東西南北」の形があると解釈している。
それぞれがファンタジーお馴染みの四神、青龍、朱雀、白虎、玄武に対応していて四神それぞれが司る季節から人生の節目毎の力、つまり山本元柳斎重國ほどに完成された死神として極致に至れば4種の力を得ると思っている。
玄冬→芽吹きも見えない赤子、幼年期
青春→力が芽生え始めた青年期
朱夏→力が広がり満開となり、実りへのラストスパートとなる壮年期
白秋→人生の結び。全ての力の答えとなる老年期。
作中では同じ卍解の区分でありながら能力も形も大幅に変化するものが残火の太刀を除くとあまりに少ない。
京楽春水の卍解、花天狂骨枯松心中は「技」としては多彩だがその根っこの部分は「大人の遊び」であり、その「ルール」が変わっただけで本質的にはその力に代わりはない。
そうした「技」ではなく、「力」そのものが作中で全くの別物になったのはパッと思い浮かぶのが山本元柳斎重國を除けば
阿散井恋次の卍解、
・狒狒王蛇尾丸
・双王蛇尾丸
そして朽木白哉の卍解
・千本桜景厳
・白帝剣
最後に日番谷冬獅郎の卍解
・大紅蓮氷輪丸
・四界氷結
彼等に共通していることは「自分は未熟である」という思いと「強くなりたい」という思いがある事。
力が新たなステージに至った理由はこの2つ思いを強く思う事が大前提。
今回は千本桜・景義の東西南北を予想していくという考察という名の妄想、一人遊びである。

千本桜景厳と白帝剣

以前、自分は別の記事で「白帝剣の白帝は秋を示す」と考察したのだが、よくよく考えればその割には白帝剣は微妙な力であるし、仮に 千本桜景厳をスタートとなる「北」とすると東、南をすっ飛ばしていきなり終着点の「西」となってしまう。
加えて出生の怪しい浦原喜助などと異なり、朽木白哉は四大貴族でその若さで隊長になるなど才能を持った死神だが、言ってしまえば他の死神と大きな差はない。
だから「白帝剣」を名前に囚われて「白秋」の力と捉えて考えるのは間違いだと考えた。
まぁ、東西南北を全ての斬魄刀の卍解に当てはめるということ自体、自分以外の考察で見たことないからあくまで自己完結、自己満足でわざわざ訂正したり間違いを認める必要もないのだが。
ともかく、順当に始まりとなる「千本桜景厳」 を「北」、「 白帝剣」 を「東」 とする。
残りの「南」 と「西」について考察していきたい。

桜の木

これまだ別の記事で少し触れたのだが「桜」というのは日本において重要な樹木である。
その反面、桜が咲き誇るのが短期間のため、そこから「短命」という言葉を連想するため戦国の武将などの家紋に使われる事はなかったと言われている。
で、あれば掟や格など古風な武人のような思考の朽木白哉が千本桜を得るに至ったのか。
それは2つの思いがあるから。
・四大貴族として早く強くなりたいという思い
・年相応で有りたい
この2つの思いに挟まれた結果「濃密」 で「 短命」な「青春」の力として斬魄刀にその精髄を刻んだのではないか思う。
霊術院時代の描写では落ち着きのない、どちらかというと血の気の荒い朽木白哉は作中で死神の隊長として活躍する朽木白哉とはまるで異なる。
過去において四大貴族として、死神としての在り方などを親、祖父から説教を受け、同じ四大貴族の夜一からもからかわれている様子がある。
「早く大人に」「早く強くならなければ」
と一気に「満開」 へ「千本桜」となり、そして一気に散る、「終景」へとなる。
それが大人、貴族になるため、強くなるため、と言い聞かせ、あとは自分が死ぬまでこの「満開」と「終景」から変化はない、と達観してしまったから「白帝」という西、そして終わりの名前が出てくるのである。

花見が終われば

さて、4月の桜の季節。
花見のシーズンとなり、満開となった桜を見て飲んだり食べたりしている人ともいたわけだ。 
それが終われば何があるのか。
5月5日。今日はこどもの日。
日本古来の風習、「鯉のぼり」
自分は朽木白哉が更に歳を経て朱夏の季節、壮年期へとなれば桜の木とその散った風景の卍解から鯉のぼりをモチーフにした卍解へと至るのではないか、と考えている。
朽木家の庭園にも鯉が泳いでいるらしいがやはり白哉が壮年期になれば阿散井恋次、そしてルキアの夫妻もそれなりの年齢になり、そしてその娘である「苺花」 もそれなりの年齢に至るだろう。
そうなれば白哉は落ち着いて過去を振り返った時に阿散井一家、3人の姿を見て自分の「もしも」を考えるのではないか。
死んだ妻の「朽木緋真」 と生まれていたかもしれない「自分の子供」。
四大貴族の跡取りとしてなら望むのは「男子」だろう。
鯉のぼりは昔は5色の鯉だったらしいが今は3色だ。
「大黒柱」としての黒い父親の鯉のぼり。
母親の赤い鯉のぼり、そして青い息子の鯉のぼり。
白帝剣の白、黒、青、そして赤と東西南北の色が揃っているのも何かあるのかもしれない。
鯉のぼりは祝い事。
昔は子供は7歳ごろまで生きることが困難であったことから7歳まで子供を神の子として生き延びた事を祝ったのが鯉のぼりらしい。
守護の力だとかそうした「南」の力、鯉のぼりで言えば赤の力、つまり母親の力。朽木緋真の力を宿した力があると考えたら中々に面白いのではないか。

本当の白秋

朽木白哉が山本元柳斎重國ほどに熟し、力の答えを手にいれたとしたら一体それは何なのか。
桜が咲き、そして散り、鯉のぼり。
あくまで考察でしかないのだけど全体的に「春」をモチーフとした力である。
そして春といえばこれから力をつけて成長していくというエネルギーに満ち溢れた芽吹き季節でもある。
その成長にまつわる話と鯉のぼりに関連した言葉がある。「鯉の滝登り」。
所謂、「登竜門」というやつでその滝を登りきった鯉は龍に成る、立身出世の比喩のようなものだ。
つまり最後の西の力は龍の力、そして春が示すように青春を司る青い龍、四神でお馴染みの青龍である。
そう考えると千本桜景厳は龍の力の面影があった。
桜の刃は龍の鱗とするなら、千本桜そのものか青龍であり、
無傷圏という唯一の弱点は龍の逆鱗をモチーフとしており、そのほか 千本桜景厳から発展する技、
吭景、殲景、そして奥義の一咬千刀花。
これらを龍の攻撃とすると龍が顎を開いて敵へ向かい、飲み込み噛み砕こうとしているようにも思う。
青龍は五行説においては木を司り、また木星の象徴とも。
スピリチュアル的には拡大や成長、追い風などの力があり、千本桜との相性も良い。
「早く大人に」と若さを犠牲にした白哉が掴んだ最後の力が「若さ」を司る木星、青龍というのであれば中々に何というか、若干古いような気もするが「エモい」のではないだろうか。

まとめ、というか余談

石田雨竜を「黄龍」とその役割を考察したのだが朽木白哉は「青龍」 というのが自分の考察である。
まぁ、こじつけといえばこじつけなのだが、BLEACHは全体的に見ると石田家を含めた旧来の弓矢の滅却師がインド神話、そして死神は中国や日本の神話、仏教などに関係している気がするように思える。
逆に虚はスペイン語、ラテン語由来だが多分ローマ帝国支配下にあった属国とされた土地の神話や宗教から取られて要るような気がする。
インドを堺に死神と虚で東西の文化圏の神話に分かれているように思える。
木星は日本、中国では青龍であるが向こう側、虚の支配圏の神話ではジュピター、ユピテル。
つまりはギリシャ神話の主神である雷神ゼウス。
虚、というかエスパーダでゼウスに近しいのは雷霆の槍という技を使ったウルキオラ・シファー。
作中で二人が相見える事はなかったと思うが、何処となく近しい物、同じ星の下の存在だったのかもしれない。

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