石田雨竜についての考察

名前から考える聖別から逃れられた理由

石田雨竜は混血の滅却師で本来なら聖別によって滅却師の力を奪われて死ぬ運命だった。
それはユーハバッハの「何故生きている?」という事からも本来なら石田雨竜は死ぬ筈であった事は明らかである。
何故彼が生きていたのか。
聖別を逃れられた理由について「実は完現者で霊王の身体のパーツがあったのではないか」というのが多く見かけるネットの話。
しかし土台となったのは母である混血滅却師の片桐叶絵、そしてその土台を完成させ石田雨竜を聖別から逃れさせたのは雨竜の父、石田竜弦が関係しているというのが自分の考察である。
自分の結論は石田雨竜の持つ「 虚」の力により遠ざけたという事。
それが彼の名前「雨竜」の持つ意味と彼の能力、そてBLEACHと同じ世界のヨーロッパの話とされるバーンザウィッチを読んだ事で確信した話である。

雨竜

バーンザウィッチを見たのはこの記事を書く数時間前で流し読み程度で深く読み込んだわけではない。
しかし以前からほぼ確信して石田雨竜は虚の因子をその身体に宿していたと予想していた。
なのでネットの「雨竜」の名前から連想する考察を見て片桐叶絵が石田雨竜へ思いを伝える「雨」のシーンに向かって考察してる人達の話を見ながらBLEACHという作品への熱量の凄さと久保帯人のミスリード(というと自分の考察が正しいと言っているようにも思えるからそれは過言なのだけど)の術は凄いのだと思った。
確かに自分の考察としても「雨竜」の二文字のうち、「 雨」は片桐叶絵、「竜」は石田竜弦をさしていると思われるが石田雨竜の力を見る以上は「雨竜」として見なければならない。
雨竜、それは中国神話における龍の一種の名前。
「泥水で育った蝮(まむし)は五百年にして蛟(雨竜)となり、蛟は千年にして竜(成竜)となり、竜は五百年にして角竜(かくりゅう)となり、角竜は千年にして応竜になり、年老いた応竜は黄竜と呼ばれる」
雨竜は元は蝮、蛇である。
BLEACHにおいて蛇といえば市丸ギンが浮かび上がるがアレは市丸ギンが己を殺し、藍染惣右介を殺すための覚悟の現れに近いのだが石田雨竜は生まれ持っての蝮。
滅却師の本筋であるユーハバッハから離れた石田宗玄、その息子で滅却師を無価値とした竜弦、そして混血滅却師の片桐叶絵。
そこから生まれたユーハバッハ、旧き世界滅却師の王、ユーハバッハを妥当する新しい太陽、黒崎一護の第一の矢。中国神話における偉大なる「黄帝」を補佐する「黄龍」になる存在を示している。
まぁ、「黄龍」というのは最終的なポジションであるので聖別から逃れた理由である「雨竜」についてを深掘り。

ドラゴンと虚

BLEACHにおいて「龍」と名前の付く存在は極端に少ない。この手のバトル漫画において龍、ドラゴンいくらでも描かれそうだが実際は龍紋鬼灯丸の名前、氷輪丸の姿、BLEACHにおいては龍は極端に描かれない。
何故なら同じ世界観のバーンザウィッチがBLEACHで言うところの虚に当たる生物に「ドラゴン」と名前をつけているから。
虚という物にしてもドラゴンにしても共通点がある。
それは「嘘」、虚構の存在である事。
虚についての考察は別の記事で考察しているが「心」を無くした嘘の存在で真の存在へ至るために身近だった人間の魂や虚ではない整、あるいは完現術者を襲ったりしているわけだ。
バーンザウィッチにおけるドラゴンもまた似たような物である。
そして力あるドラゴン、龍はバーンザウィッチにおいて童話竜などと言われて特に力の強い7種がいるとの事。
そしてこの童話竜の一体がバーンザウィッチ作中の人間に力を与えており、その人間がその力を自分の力だと言っているがそれについてバッサリと「他人から与えられたマヤカシの力」と切り捨てられている。
そもそもとして現実世界においても竜、ドラゴンは想像上の幻獣でフィクションだから存在するわけだ。
だからBLEACHの虚とバーンザウィッチのドラゴンは本質的には同じ物だが扱いが異なる点が存在する。
BLEACHでは滅却師が掲げるように「滅ぼすべき存在」と絶対的な悪とされていた。
一方でバーンザウィッチでは積極的に害を振りまく邪龍、「ダークドラゴン」と特に害を振りま業とはしない「ライトドラゴン」に分けられる。
そしてライトドラゴンは家畜として生活の一部にされたりもしている。
その中の運用方法としては人間の食用にもなっている。
ドラゴンが食用になっているなら本質的に同じ虚も食用になってもおかしくない。
雨竜の祖父、石田宗玄はユーハバッハから離れる前後にヨーロッパでその光景、ドラゴンと呼ばれる虚と共存し、家畜としてそれを食らう文化、社会を見たのだろう。
そして滅却師の在り方が「旧い」、考えを改めなければならないと悟り、竜弦を医者に。勿論医者になれば医学を学ぶ為に国外、勿論バーンザウィッチの世界であるヨーロッパにも行ったであろう。
最近、というにはもはや馴染み過ぎた「異文化」「多様性」それらを「目」で認知し、「耳」で感じた竜弦は「滅却師」に見切りをつけたのだろう。
そして「雨竜」。
破面の使うスペイン語にも詳しい描写がある。
まず雨竜がヨーロッパに住んでいた過去があるかどうかは定かではないが竜弦経由でバーンザウィッチの家畜用ドラゴンの料理を小さい頃から接種していたのではないか、と雨竜の名前から察する事ができる。
心は与えられてきた言葉で作られている。
身体は食べてきた物で作られている。
ごくごく自然な事で黒崎一護はその魂に「ホワイト」という人造虚を宿していて聖別から逃れられた。
雨竜は魂に虚を宿して居なかったが後天的にドラゴン、虚を食べ、異文化の言葉を聞き、「心」と「肉体」に虚の因子を宿していった。
この理屈でいけば黒崎一護の妹達二人についても「ホワイト」が居なくても聖別を逃れられた理由として説明がつけられるのである。

完全反立

まぁ、聖文字である「完全反立」については聖別を逃れた理由と殆ど同じ。
加えて石田雨竜がかけている「眼鏡」の存在。
鏡花水月の考察においてもその破り方について「眼鏡」の存在が意味を持つと考察した。
眼鏡、というよりも「眼」と「鏡」。
「眼」しかなかった過去のウルキオラの真っ白な姿、それを自分は三界分裂前の滅却師の姿であると考えている。
そしてリジェ・バロを下した対神用の特効武器、八鏡剣。
神の力を反射する力がある。
コレは鏡には「蛇」の力がある。
そこを深掘りすれば「鬼灯丸」にも繋がるのだが今回は止めておこう。
ともかく、「虚」の因子で構成された身体と「眼鏡」の力によって完全反立という力と聖文字でありながら「the」が付かない理由の考察。
まぁ千年血戦編についてはあんまり詳しくないからその辺はちゃんと読み直して考察に変更があればまた考察し直すけど。

滅却師最終形態



別に言う事はないのだけどコレはつまるところ「バリスタ」、大型の弓、攻城兵器として使われただと思う。
何故最終形態なのか、といえば弓矢の歴史と銃の歴史を考えると丁度戦場に銃が実用化され始めたのが200年前。正確にはもっと前から火縄銃のような物はあったが弓矢に取って代わる性能を持ち出したのがその頃。BLEACHでも滅却師が石田家を除き滅亡したとサれるのが約200年前とされる。
先に挙げたリジェ・バロやエスパーダのスターク。
弓矢に取って代わる銃を武器にする者がBLEACHにおけるボスのそれぞれ一番の手下。
そしてBLEACHという名前と同じ音、「ブリーチ」で異なる文字と意味となる「breech」。
それ単体では「銃尾」という意味らしいが「breechloader」となると「後装填銃」。
つまりは現代で一般的な「拳銃」を指す。
弓矢を古いアンティークにした拳銃がBLEACHにおける世界を変えるために動いたボス達の「一番」の武器であり、象徴。
そしてそのアンティークとなった弓矢の発展形、バリスタから以降特別な変更、革新がなかったが故に「一度放てば力を失う」バリスタが「滅却師最終形態」としてモチーフになったと考えられるのである。

まとめ

一護の仲間である石田雨竜にも「改革」の役割があり、それが「異文化」「多様性」を実際に体験した上で「過去」から誇りや知識を学ぶという一護とは別の方法の「改革」、「温故知新」のキャラが石田雨竜には課せられている、として自分の考察とする。

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