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『関心領域』(The Zone of Interest)を要約すると、、、

※超ネタバレを含むので、未視聴の方は、視聴後にぜひ。
※見る気ない方は、気にせず読んでください><


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現在公開中、『関心領域』(The Zone of Interest)。
非常に良い邦題である。キャッチーかつ、漢字四文字で冷徹で怖い。
そして、この題名にこの映画の真髄がある。

映画は単調。
僕と一緒に行った相方は、映画視聴後に、「おっさんが転勤してストレスでゲロ吐いて終わった。」と独白。正解である。(何のストレスなのかは問わない)
「関心領域を要約して!」と言われたら、まさにソレ。

「関心領域」の独自性

映画のポルノ性

では、「関心領域」の面白さは何か。

その前に、映画、および娯楽一般に言えることだが、それらはすべてある種のポルノである。
エッチな意味ではなく、「情動を引き起こす」という目的の下で、様々な工夫がなされているという意味での。

悲しい気持ちにさせたいならば、前半に家族愛を前面に押し出しといて、最後に死別、悲しい顔をカメラでズドン!とUP!
感動させたいならば、敵に負けそうになっているところに、昔の仲間たちが駆けつけて、彼らと一緒に力を合わせて撃破!
僕たちを導いてくれる。それが、ポルノである。
(その極めつけが「第四の壁の突破」ともいえる、映画の中の人物が視聴者に向けて語りかけてくるやつ、デッドプール大好き)

「関心領域」の非ポルノ性

「関心領域」ではそれは一切ない。
自然主義的なカメラワーク(固定カメラのみ)のもとで、アウシュビッツのユダヤ人収容所の隣に住んでいる家族の日常が描かれる。終始、それに尽きる。
視聴者に何も求めない。説明もしない。何も任せない。ほっといているのだ。見世物じゃない。視聴者への関心がない。ゆえに、単調と感じるのだろう。
この映画を見ると、やはり、何かの発信を面白いと感じるときは、視聴者への徹底した配慮があるという当たり前の事実が前景化される。

なぜ映画として成り立つのか?

しかし、「関心領域」は主張を伴う映画という一つのメディアであり、実際にここまで話題を呼んでいるという事実と、先述した内容には矛盾が生じる。

「もし映画にはポルノ的要素が必要だとするならば、それを持たない関心領域という映画は、なぜ面白くないのに、面白く、なぜ映画として成り立っていないのに、成り立ち、なぜ話題を呼ぶのか」

そのヒントはステルスポルノの存在である。

この映画は、ポルノのアンチテーゼ的な発信をしている。実際は、主張があり、観客を方向付けている。ステルス的なポルノが存在しているのだ。

言い換えれば、「関心領域」は、いわゆるポルノ的な技法を使わないという方法で、ポルノ的目的を達成しているのである。それがこの映画の革新性といえる。
「関心領域」を見たら語らずにいられない、調べずにいられない、考察せずにはいられない。なぜなら説明がないから。
「本来、映画には、主張があるはずだ!」という前提をうまく使った、描写的裏切り。

そして、超ネタバレであり、ここが僕が最も面白いと感じたシーンであるが、最後に、アウシュビッツの収容所の長官だった、ルドルフが僕たちと目を合わせる。ここまで徹底して、視聴者の存在を本当の意味で無視してきた関心領域が、急に超ポルノ的技法である「第四の壁」を突破してくるのだ。激こわ。
完全にフリができているところで、ルドルフと目が合う。
しかも、そのシーンの直前には、現代の博物館となったアウシュビッツ収容所の様子がスクリーンに流れる。
まさに、現代の私たちと戦時下の彼が出会ったことを裏付ける描写である。

最後の4分くらいまでは、視聴者は放任されている。
おそらくその状態のままで映画が終了したら、「つまらなかった」と言える。
しかし、最後の4分でこの映画の主張の受け手、つまり、私たち視聴者は、この映画の関心の領域内にいる当事者であるという事実を突きつけられたときに、「つまらなかった」と言ってられなくなるのだ。なぜなら、それは、自分がルドルフであることを認めることに直結するから。

ポルノとアンチポルノのアウフヘーベン的手法

「関心領域」はアンチポルノ的な手法によって、完全に映画の世界から切り離されていた他人事の僕たちが、最後に、圧倒的ポルノによって、急に当事者意識を呼び起こされる怖くて面白い映画だ。そのために面白くない映画でなければいけない。
ポルノ的技法とアンチポルノ的技法の相克を弁証法的に映像に落とし込んだ、一つの結果、作品が「関心領域」なのではないだろうか。
そして、それがこの映画の「面白さ」なのだと僕は考える。

「関心領域」の主張

まだ僕は大事なことを述べることができていない。長くてすいません><
この映画の「主張」は何か、という問いへの僕なりの答えである。

主張

結論、「人間は無関心ではあれない」という主張を読み取った。

ユダヤ人への虐げは関心領域外

アウシュビッツの隣に住む家族は、基本的に収容所の存在を無視している。関心領域外である。
ユダヤ人の召使いもまるでいないように扱う。
ずっと外から銃声や、火葬場の音、人の叫び声は聞こえてくるのに。

ルドルフの家族が、それらを関心領域外においていることがわかる、象徴的なシーンが2つある。
一つ目は、ルドルフの妻であるヘートヴィヒの母親、ルドルフからすれば義理の母親が、その家に引っ越してきたが、銃声や火葬場の音、光に耐えられず、すぐに家を出ていったシーンである。
もう一つは、断続的な描写ではあったが、泣き止まない赤ちゃんである。ヘス家の赤ちゃんはずっと泣いている。なぜなら、銃声が聞こえるから。ユダヤ人の痛烈な叫び声がうるさいから。
それ以外のルドルフの家族は、環境に順応しているのだ。

一方で、ユダヤ人自体の存在は認知している。
お金持ちのユダヤ人の服を着ておしゃれしたり、召使として雇ったり、悪口を言ったり。
だから、ユダヤ人自体が関心領域外なのではなく、ユダヤ人を虐げているという事実が関心領域外なのである。

関心を持たない理由

では、なぜ、その事実のみが関心領域外なのか。
「その罪に対する当事者意識がない」からである。
いや、この言葉では足りない。
「罪など存在してない」からである。
傍観者ですらない。ユダヤ人を虐げることに対する価値判断がないのだ。
これが戦時下のドイツである。良い悪いではない。
本人たちとしては、上からの命令をこなしているだけ。絶対的上意下達である。権威主義。
これが全体主義。こわい。

仮に自分たちが悪いと思っているのであれば、収容所から聞こえてくる音に耐えることはできない。本当に何も思ってないのだ。やるべきことが行われているだけ。僕たちに置き換えると、道の信号機が赤と青で入れ替わっている。それぐらいのことである。

ルドルフが吐いた理由

と、映画の最後まで、僕は思ってしまっていた。
人間をここまで洗脳させることができる戦争と独裁の悪の親和性に慄いていた。
そのシナジーが、人の関心領域をねじまげて、無理やり無関心領域を生ませるのだろう、と。

しかし、ルドルフは、密室毒ガス虐殺の話を妻にして、階段を下りているときに吐いた。この描写が僕の先ほどまでの考えを覆した。

この映画は私見ではあるが、密室毒ガス虐殺で始まり、密室毒ガス虐殺で終わる。真っ暗で変な音のする画面で始まり、ルドルフが密室毒ガス虐殺を行うことを決めて終わる。密室毒ガス虐殺はナチスドイツが行った最も非人間的な行為の一つである。

ルドルフは吐いた。
なぜ吐いたのか。罪の意識があったからだ。
無関心だったのでは?半分そうであり、半分は違う。
意識的には無関心で、無意識的には関心があったのだ。
さらにかみ砕いて言うと、自分のうわべの認識では無関心だったが、奥底の部分では、関心があったのである。

なぜ、そう読み取ったのか。
「関心領域」という映画の中では、収容所の横に住む家族の日常のシーンが描かれ、その背後では常に収容所の音がしている。
しかし、ルドルフだけは単身赴任で一度別の地域に転勤する。
そこでは、何の音もしない。道を歩く時も、寝るときも。
そんな日々をすごしたのち、ある作戦を終えた後、家族のいる収容所横の家に帰ることが決まる。うれしいはずだ。いや、当人としては本当に心の底からそれを喜んでいる。しかし、吐いしまう。なぜか。
無意識の部分で、気づいたからだ。家族のいる家で聞こえる音が普通ではなかったことに。

その吐いたシーンの後に、先述した、現在のアウシュビッツ収容所の様子と、ルドルフと私たちの邂逅のシーンが描かれる。
ルドルフは無意識の部分では、ユダヤ人たちへの虐げに関心があったことを示唆したシーンの後に、僕たちも当事者であることを突きつけられる。

完全な無関心などは存在しない

「無意識的な関心を、自分の心の自衛のために、無意識的に無関心化している」というのが正しいだろう。
つまり、裏を返せば「どんな人間も本当の意味で無関心でいることはできない」のである。これが主張だ。

だからこそ、それを自覚したうえで、世界をもう一度眺めてみるのが、この映画が視聴者に促したいアクションなのではないかと思う。
この世界は見たくないものは見なくてすむようにできている。現実世界には壁があり、ネットにはフィルターバブルがかかる。
しかし、僕たちは無意識の中では、不都合な真実がこの世にあふれていることを知っている。
そうした人間の業を当事者として自覚させるのが、「関心領域」という映画の役割だったといえるだろう。

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